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2020/09/02

ポツダム宣言調印

9月2日
水曜日

ポツダム宣言調印

1945年(昭和20年)9月2日

第二次世界大戦での日本の降伏

大日本帝国政府が
東京湾の戦艦ミズーリ号艦上で
連合国に対する降伏文書(ポツダム宣言)に調印。

降伏文書は調印と同時に発効し、
第二次世界大戦が終結。(対日戦勝記念日)

ポツダム宣言
(ポツダムせんげん、英: Potsdam Declaration)は、
1945年(昭和20年)7月26日に
イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、
中華民国主席の名において
大日本帝国(日本)に対して発された、
全13か条から成る宣言である。

正式には日本への降伏要求の最終宣言
(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)。  

宣言を発した各国の名をとって、
「米英支三国共同宣言」ともいう。

他の枢軸国が降伏した後も
交戦を続けていた日本は、
1945年8月14日にこの宣言を受諾し、
1945年9月2日に
調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦は終結した。

ソビエト連邦は後から加わり追認した。

ポツダム宣言調印

2020/09/01

防災の日

9月1日
火曜日

防災の日

1923年(大正12年)9月1日に発生した
関東大震災を忘れることなく災害に備えようと、
伊勢湾台風襲来の翌年である
1960年(昭和35年)に閣議決定で制定。

防災の日(ぼうさいのひ)は、
「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、
広く国民が台風、高潮、津波、地震等の
災害についての認識を深め、
これに対処する心構えを準備する」こととし
制定された啓発日で、日付は9月1日。

毎年、
この「防災の日」である
9月1日を中心として
「防災思想の普及、功労者の表彰、
防災訓練等これにふさわしい行事」が実施される。

また、
「防災の日」を含む1週間を防災週間として、
様々な国民運動が行われる。

防災の日

2020/08/31

方広寺の鐘銘事件

8月31日
月曜日

方広寺の鐘銘事件

1614年8月31日
(慶長19年7月26日)

徳川家康が、
豊臣秀頼が再建した方広寺の鐘の
「国家安康」の文字に言いがかりをつけ
落慶法要を延期させる。

大坂冬の陣のきっかけに。

方広寺(ほうこうじ)は、
京都市東山区にある天台宗の寺院。

通称は「大仏」または「大仏殿」。

豊臣秀吉が発願した
大仏(盧舎那仏)を安置するための寺として
木食応其によって創建された。

慶長13年(1608年)より
片桐且元を奉行として再建が開始され、
慶長15年(1610年)6月に地鎮祭、
同年8月に立柱式が実施されて、
慶長17年(1612年)には大仏殿と大仏が完成した。

続いて大仏は金箔を押す作業に入る。

慶長19年(1614年)には梵鐘が完成し、
徳川家康の承認を得て、
開眼供養の日を待つばかりとなった。

ところが家康は
同年7月26日に開眼供養の延期を命じる。

上記の梵鐘の銘文
(東福寺、南禅寺に住した禅僧文英清韓の作)のうち
「国家安康」「君臣豊楽」の句が
徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、
家康および徳川家を冒瀆するものとみなされ、
最終的には大坂の陣による
豊臣家の滅亡を招いてしまったとされる
(方広寺鐘銘事件)。

なおこの事件を
徳川方の言いがかりとする見方がある一方で、
「姓や諱そのものに政治的な価値を求め、
賜姓や偏諱が盛んに行なわれた武家社会において、
銘文の文言は、
徳川に対して何らの底意を持たなかったとすれば
余りにも無神経。

むろん意図的に用いたとすれば
政局をわきまえない無謀な作文であり、
必ずしも揚げ足をとってのこじつけとは言えない。

片桐且元ら
豊臣方の不注意をせめないわけにはいかない」
とする指摘もある。

方広寺の鐘銘事件