2020/08/27
御成敗式目
8月27日
木曜日
御成敗式目
1232年8月27日
(貞永元年8月10日)
北条泰時が御成敗式目を制定。
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、
鎌倉時代に、源頼朝以来の先例や、
道理と呼ばれた
武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、
武士政権のための法令(式目)である。
貞永元年8月10日
(1232年8月27日:『吾妻鏡』)制定。
貞永式目(じょうえいしきもく)ともいう。
ただし
貞永式目という名称は後世に付けられた呼称で、
御成敗式目の名称が正式である。
また、
関東御成敗式目、関東武家式目などの異称もある。
1185年に鎌倉幕府が成立以降、
東日本を勢力下におく鎌倉幕府と、
西日本を勢力下におく朝廷による
2頭政治が続いていたが、
1221年(承久3年)の承久の乱で、
鎌倉幕府執権の北条義時が朝廷を武力で倒し、
朝廷の権力は制限され、
幕府の権力が全国に及んでいったが、
日本を統治する上で指標となる
道徳や倫理観そして慣習が各地で異なるため、
武家社会、武家政権の裁判規範として制定された。
2020/08/26
自転車屋の生き物歳時記 ルリシジミ
8月26日
水曜日
自転車屋の生き物歳時記
ルリシジミ
昨日
ルリシジミを見かけた。
シジミチョウの仲間では
一番美しいかな。
ルリシジミ(瑠璃小灰蝶 Celastrina argiolus )は、
チョウ目(鱗翅目)シジミチョウ科に属する
チョウの一種。
前翅長は12~19mm。
翅の表面は、オスは明るい青藍色、
メスは外縁部が広く黒褐色、
裏面は白の地色に黒色の斑点がある。
ユーラシアと北アフリカに分布し、
日本国内では全国的に分布。
蛹で越冬し、
年3~4回、3~11月にかけて現れ、
低地から山地の明るい草地などで見かけられる。
夏型は春型に比べてやや小さく、
メスの外縁部が著しく拡大する。
成虫は地面で吸水したり、花で吸蜜することが多い。
幼虫の食草は
マメ科、バラ科、タデ科、ミカン科などの花。
日本では奄美諸島以北の全土。
国外ではユーラシア大陸・北米大陸。
2020/08/26
伏見城の戦い
8月26日
水曜日
伏見城の戦い
1600年8月26日
(慶長5年7月18日)
伏見城の戦いが始まる。
伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい)は、
1600年8月26日(慶長5年7月18日)から
1600年9月8日(8月1日)まで行われた
関ヶ原の戦いの前哨戦。
豊臣秀吉の死後、
大老・徳川家康は上杉景勝が、
豊臣政権に対して反逆を企てたとして会津征伐を決定。
慶長5年6月18日に伏見を立ち東国へ向かった。
一方、
大坂城にいた前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は
7月17日に、
家康が大坂城西の丸に残していた留守居役を追放して、
家康に対する13か条の弾劾状を発布した。
これに先立つ7月15日の時点で
家康の家臣鳥居元忠らが在城する伏見城は
籠城を開始しており、
反家康の立場を明らかにした西軍は
これに対する攻撃を準備する。
守る城側の兵力は城兵1800人に
大坂城西の丸から移動してきた
500人を加えた2300人。
本格的な戦闘は19日から開始され、
当初は籠城側が打って出て
前田玄以、長束正家らの屋敷を焼き払うなどするが、
以降は攻め手が昼夜問わず大小の鉄砲を打ちかけ、
さらに22日には
宇喜多秀家勢が加勢するなど圧力を強める。
攻め手は築山(小山)を築いて
そこに大筒・石火矢を設置したり、
堀を埋めるなどするが
十分に防御された城は容易に落ちなかった。
しかし孤立した城は8月1日昼ごろに落城。
鳥居元忠は鉄砲頭鈴木孫三郎に討ち取られ、
他に内藤家長父子・松平家忠・上林竹庵ら以下
800人が討ち死にした。
なお
この伏見城攻防戦の様子を近隣の郷民たちは
小栗栖の山から見物している。
この戦いは、
9月15日に行われることになる
関ヶ原本戦の前哨戦であり、
伏見城に10日以上もの期間をかけたため、
美濃・伊勢方面に対する
その後の西軍の展開が
大きく遅れる要因となったとする説がある。