2024/02/14
ドラマ大奥 主要登場人物 お知保
2月14日
水曜日
聖バレンタインデー
ドラマ大奥
主要登場人物
蓮光院
(お知保)
(第十代将軍徳川家治の側室)
(森川 葵)
蓮光院(れんこういん)
元文2年11月15日(1737年12月6日)
~寛政3年3月8日(1791年4月10日))
江戸幕府の10代将軍徳川家治の側室。
徳川家基の生母。
俗名は知保、智保。
父は津田宇右衛門信成。
養父は伊奈忠宥。
寛延2年(1749年)11月
大御所・徳川家重の御次として仕え、
初めは「お蔦」、後に「お知保」と称した。
同4年(1751年)1月18日には御中臈に昇格した。
家重逝去後の
宝暦11年(1761年)8月5日
江戸城本丸大奥へ移り、家治付きの御中臈となる。
宝暦12年(1762年)10月25日
長男・家基(幼名・竹千代)を出産したが、
同年11月
家治の御台所・五十宮倫子がその養母となったため、
家基は倫子のもとで育てられた。
同月15日
長子出産の功労から「老女上座」 の格式を賜った。
明和 6年(1769年)
家基が将軍世子として西の丸御殿へ移ると、
それに随従して西の丸大奥へ移り、
同月4日には格式が
「浜女中(浜御殿にいた先代将軍側室)」同様となる。
明和8年(1771年)
倫子が死去して以降は「御部屋様」と称され
世子生母の扱いを受けたが、
家基は安永8年(1779年)
18歳の若さで急死するという凶運に見舞われた。
天明6年(1786年)
家治が逝去すると、
落飾して「蓮光院」と称し、
同年11月3日
江戸城二の丸へと居を移した。
寛政3年(1791年)3月8日、
55歳で死去した。
文政11年(1828年)
従三位を追贈された。
御台所および将軍生母以外の
大奥の女性が叙位された珍しい例である。
2024/02/14
バレンタインデー
2月14日
水曜日
聖バレンタインデー
バレンタインデー
キリスト教の元聖名祝日。
現在のカトリック教会では
「聖人」から除外されている。
以下は
バレンタインデーに便乗したもの
義理チョコ
チョコレートの日
ネクタイの日
本当は
バレンタイン宣教師が
処刑された
めでたくはない日なんやけどね。
2024/02/13
ドラマ大奥 主要登場人物 五十宮倫子
2月13日
火曜日
ドラマ大奥
主要登場人物
第10代将軍御台所
五十宮倫子
(小芝風花)
倫子女王(ともこ じょおう)
元文3年1月20日(1738年3月10日)
~明和8年8月20日(1771年9月28日))
江戸時代後期の皇族で、
閑院宮直仁親王第六王女。
江戸幕府第10代将軍徳川家治の正室(御台所)。
幼名は五十宮(いそのみや)。
第113代東山天皇の孫、
第119代光格天皇の叔母にあたる。
元文3年(1738年)1月20日
閑院宮直仁親王の第6王女として京都に誕生した。
母は閑院宮家の女房の讃岐。
寛延元年(1748年)10月26日
京都所司代牧野貞通が朝廷と交渉し、
将軍家重の世子・家治との縁組が決定された。
寛延2年(1749年)2月5日
京都を発ち、
3月19日に江戸へ到着すると浜御殿へ入った。
宝暦3年(1753年)11月11日
縁組の披露が行われ「姫宮様」と称される。
翌4年(1754年)12月1日
江戸城西の丸へ入り、婚礼の式を挙げた。
以降は「御簾中様」と称された。
宝暦6年(1756年)7月
家治との間に長女・千代姫を産んだが、
姫はわずか2歳で夭折した。
宝暦10年(1760年)4月
江戸城本丸へ移り御台所となる。
同年の8月に従三位に昇進し、
9月には夫の家治が征夷大将軍を拝命した。
翌11年(1761年)8月
次女の万寿姫を出産し、
また家治が側室出生の子も御台所の御養としたため、
側室・お知保の方が生んだ
世子・徳川家基(幼名・竹千代)の養母となった。
明和8年(1771年)8月20日
34歳で薨去した。
戒名は
心観院殿従二位浄池蓮生大姉。
江戸上野の寛永寺に葬られた。
同年8月23日には従二位を、
さらに天明3年(1783年)8月には
従一位を追贈された。