2023/11/11
「どうする家康」関ヶ原の戦い特集 島 左近(西軍 首謀者の家臣)
11月11日
土曜日
「どうする家康」
関ヶ原の戦い特集
島 左近
(西軍 首謀者の家臣)
(高橋 努)
島 清興(嶋 清興、しま きよおき)は、
戦国時代から安土桃山時代の武将。
筒井氏、石田三成の家臣。
通称は左近で、
一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。
実名は勝猛(かつたけ)などの
俗称が広まってはいるが、正しくは清興である。
また名字に関して、
本人の自署や『多聞院日記』などの同時代史料では、「島」でなく「嶋」の字が用いられている。
三成に
三顧の礼をもって迎えられ
破格の高禄を食む側近として仕え、
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり
島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だった(『古今武家盛衰記』)。
娘の珠は柳生利厳の継室となっており、
剣豪として名高い柳生厳包は左近の外孫にあたる。
慶長5年(1600年)の
関ヶ原の戦いの前日には、会津の上杉景勝、
また北からの万一の伊達政宗の裏切りに備えて
江戸からなかなか動けないはずの
徳川家康の美濃国赤坂
(現在の岐阜県大垣市赤坂町字勝山にある安楽寺)到着の報に動揺する西軍の兵たちを鼓舞するために、
兵500を率いて東軍の中村一栄・有馬豊氏両隊に
戦いを挑み(杭瀬川の戦い)、
明石全登(宇喜多秀家家臣)隊と共に勝利した。
しかし、
その夜に島津義弘・小西行長らと共に提案した夜襲は、
三成に受け入れられずに終わった。
関ヶ原の戦い本戦においては、
最初は西軍有利に進み、左近も自ら陣頭に立った。
その最期については、
黒田長政軍の
菅正利率いる鉄砲隊に横合いから銃撃され負傷し後、
死去した。
正午過ぎ、
小早川秀秋の東軍寝返りを皮切りに
西軍は総崩れとなり、左近は再び出陣。
正面の黒田長政軍及び田中吉政軍に突撃し、
敵の銃撃により討ち死した。
備中早島戸川氏に伝わる伝承によれば、
再び出陣の島左近を戸川達安が討ち取った。
とする説がある。
関ヶ原合戦での戦いぶりは、
徳川方をして「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」
と恐れさせたことが『常山紀談』に記されている。
江戸初期、筑前福岡城において、
関ヶ原に出陣し左近を襲撃した老いた武将達が
その服装について若侍相手に語り合ったが、
指物、陣羽織、具足に至るまでそれぞれ記憶が違い、
理由をその恐ろしさに記憶が曖昧であったとしている。
享年は61歳。
左近の墓地は奈良市川上町の三笠霊苑内、
京都市上京区の立本寺塔頭教法院墓地に存在する。
この他にも
左近の墓は対馬、陸前高田などにもあるとされる。
2023/11/11
チーズの日
11月11日
土曜日
チーズの日
日本輸入チーズ普及協会と
チーズ普及協議会が
1992年に制定。
日本史上、
チーズの製造が確認される最古の記録が、
700(文武天皇4)年10月に、
全国に「酥(そ)」
(現在のチーズに近い発酵食品)の
製造を命じたというものであることに由来。
10月を新暦に置き換えた11月として、
さらに覚えやすい11日とした。
11月11日は
他にも語呂合わせを含め
なんと!
40もの記念日が制定されています。
日本で一番記念日が多い日ですわ!
2023/11/11
週末立ち飲み 大野酒店
11月10日
金曜日
週末立ち飲み
大野酒店
スーパードライ小瓶
角ハイボール
玉子豆腐
カワハギのみりん干し
ピリ辛ウインナー
消防団第五分団
副分団長S君が
Facebookに上げてくれと言うので
そちらには顔を上げています。