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2021/05/31

上米の制の停止

5月31日
月曜日

上米の制の停止

1730年5月31日
(享保15年4月15日)

江戸幕府が上米の制を停止し、
参勤交代の期間を元の1年おきに戻す。

上米の制(あげまいのせい)は、
江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が
享保の改革の際に出した制度。

上げ米の制と表記することもある。

享保7年(1722年)に制定された。

大名に
石高1万石に対して100石の米を納めさせる代わりに、参勤交代の際の
江戸在府期間を半年(従来は1年)とした。

幕府の増収に貢献したが、
問題点も多く享保15年(1730年)に廃止された。

そもそも上米の制は
「御恥辱を顧みられず仰せ出され候」
と述べられるように、
幕府財政を各藩に依存するものであり、
幕府権威の低下は免れなかった。

また、
参勤交代の緩和策は江戸藩邸での経費削減につながり、
大名の経済力の拡大をもたらしうるものだった。

上米の制の停止

2021/05/30

中華料理 哈爾濱(ハルピン)

5月30日
日曜日

大開通
中華料理 哈爾濱(ハルピン)

夜のウォーキングで
いつも前を通っていて
一度行ってみたいなと思っていたお店です。

緊急事態宣言の為
アルコールはなし

牛バラシチュー飯
(牛バラ肉・タケノコ・チンゲン菜の餡掛け)

ワンタン

中華料理  哈爾濱(ハルピン)

2021/05/30

風土記(ふどき)

5月30日
日曜日

風土記(ふどき)

713年5月30日
(和銅6年5月2日)

元明天皇が
諸国に風土記の編纂を命じる。

風土記(ふどき)とは、
一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことをさすが、狭義には、
日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を
国ごとに記録編纂して、
天皇に献上させた報告書をさす。

正式名称ではなく、
ほかの風土記と区別して「古風土記」ともいう。

律令制度の各国別で記されたと考えられ、
幾つかが写本として残されている。

奈良時代初期の官撰の地誌。

元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、
主に漢文体で書かれた。

律令制度を整備し、
全国を統一した朝廷は、
各国の事情を知る必要があったため、
風土記を編纂させ、地方統治の指針とした。

『続日本紀』の和銅6年5月甲子
(ユリウス暦713年5月30日、
先発グレゴリオ暦6月3日)の条が
風土記編纂の官命であると見られている。

ただし、
この時点では風土記という名称は用いられておらず、
律令制において
下級の官司から上級の官司宛に提出される
正式な公文書を意味する
「解」(げ)と呼ばれていたようである。

なお、
記すべき内容として下記の五つが挙げられている。

国郡郷の名(好字を用いて)
産物
土地の肥沃の状態
地名の起源
伝えられている旧聞異事

現存するものは全て写本で、
『出雲国風土記』がほぼ完本、
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、
『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が
一部欠損した状態で残る。

その他の国の風土記も存在したと考えられているが、
現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。

ただし、
逸文とされるものの中にも、
本当にオリジナルの風土記の記述であるか
疑問が持たれているものも存在する。

風土記(ふどき)