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2019/02/19

雨水

2月19日
火曜日

雨水(うすい)

二十四節気の一つ。

空から降るものが雪から雨に変わり、
雪が溶け始めるころ。

『暦便覧』には
「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」
と記されている。

実際は積雪のピークであり、
それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、
衰退し始めると見ることもできる。

春一番が吹き、
鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。

昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。

暦の通りに
今日はしっかりと雨が降っています😅

雨水

2019/02/18

田沼意次

2月18日
月曜日

田沼意次

1772年2月18日
(安永7年1月15日)

田沼意次が老中に就任する。

田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、
江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。

遠江相良藩の初代藩主である。

相良藩田沼家初代。

吉宗時代の質素倹約は、
幕府の財政支出の減少のみならず、
課税対象である農民にも倹約を強制し、
税を搾り取ろうとするものであった。

それによって幕府財政は大幅な改善を見たが、
この増税路線は9代将軍家重の代には
百姓一揆の増発となって現れ破綻するのである。

そして、
天領における一揆ではないものの、
意次は郡上一揆の裁定を任されたことから、
農民に対する増税路線の問題を
目の当たりにする立場であった。

また、
米相場の乱高下に頭を悩ます吉宗を身近で見て、
田沼は日本に貨幣経済を普及させて
問題を解決できないかと考えたという。

田沼の経済政策は、
市中に流れる貨幣の流通速度をコントロールして
経済を活性化し、
そして商人に対する課税によって
幕府の財政を健全化させる目的があったとする説が
有力である。

意次は逆に景気を刺激し、
内需を拡大し、
その結果利を得た商人に課税しようと考えたのである。

そのため、
広く人材や献策を取り入れたが、
「山師」の跋扈する時代を生むこととなった。

そのようなマイナス面を見て、
彼の行った諸政策を「金権政治」の一言で
切り捨てる向きもあるが、
農民に重税を課すような苛政ではなく、
民衆を富ませて幕府財政を立て直そうとした
側面を無視している。

田沼意次の在任中に
幕府財政の貨幣収入が増えたことは特筆に価する。

田沼意次

2019/02/17

兵庫輪業振興組合 総会

2月17日
日曜日

兵庫輪業振興組合
総会

須磨寺・寿楼

兵庫輪業振興組合 総会