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2019/04/13

決闘の日

4月13日
土曜日

決闘の日

慶長17年旧暦4月13日
(1612年5月13日)

船島(巌流島)で
宮本武蔵と佐々木小次郎の
決闘が行われたことにちなむ。

小次郎❗
敗れたり❗

決闘の日

2019/04/12

パンの記念日

4月12日
金曜日

パンの記念日

パン食普及協議会が
1983年(昭和58年)3月に制定。

天保13年旧暦4月12日
(1842年5月21日)、
伊豆韮山代官の江川英龍が
軍用携帯食糧として作った乾パンが、
日本で初めて焼かれたパンだといわれることから。

また、
毎月12日を「パンの日」としている。

欧米人に
日本の食パンを食べさせると

これはパンではない❗
柔らかすぎて美味しくない❗
違う食べ物だ❗と言われるようです。

パンの記念日

2019/04/12

任那日本府(みまなにほんふ)

4月12日
金曜日

任那日本府(みまなにほんふ)

601年4月12日(推古天皇9年3月5日)

推古天皇が
高句麗・百済に使いを送り任那の復興を要請。

任那日本府(みまなにほんふ)は、
古代朝鮮半島にあったとする
ヤマト王権の出先機関ないし外交使節(団)である。

『日本書紀』の雄略紀や欽明紀などに見られる。

倭(古代日本)が
朝鮮半島南部に設置した統治機関として
日本書紀に言及されているものである。

少なくとも、
下記に列挙される史実を根拠として、
倭国と関連を持つ何らかの集団
(倭国から派遣された官吏や軍人、
大和王権に臣従した在地豪族、
あるいは倭系百済官僚、等々)が
一定の軍事的・経済的影響力を
有していたと考えられている。

『日本書紀』をはじめ、
中国や朝鮮の史書でも朝鮮半島への
倭国の進出を示す史料が存在する。
(倭・倭人関連の朝鮮文献)
(倭・倭人関連の中国文献)

『広開土王碑』に
倭が新羅や百済を臣民としたと記されているなど、
朝鮮半島での倭の活動が記録されている。

新羅・百済・伽耶の勢力圏内で
日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土
(高句麗の旧領では稀)しているが、
朝鮮半島には勾玉に使われる
ヒスイ(硬玉)の産地はなく、
東アジア全体でも日本の糸魚川周辺と
ミャンマーしか産地がないことに加えて、
最新の化学組成の検査により
朝鮮半島出土の勾玉が
糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明している。

幾多の日本列島独特の墓制である
前方後円墳が朝鮮半島の全羅南道で発見されているが、
この地は任那四県とよばれる広義の任那の一部である。

宋書倭国伝のなかで451年、
宋朝の文帝が倭王済(允恭天皇に比定される)に
「使持節都督・新羅・任那・
加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授けた記述や
478年、宋朝の順帝が倭王武(雄略天皇に比定される)に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の号を授けたと記述している。

任那日本府(みまなにほんふ)