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2019/02/21

菅原道真

2月21日
木曜日

菅原道真が左遷

901年2月21日
(昌泰4年1月25日)

菅原道真が大宰員外帥に左遷。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、
寛平の治を支えた一人であり、
醍醐朝では右大臣にまで昇った。

しかし、
左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、
大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。

死後天変地異が多発したことから、
朝廷に祟りをなしたとされ、
天満天神として信仰の対象となる。

現在は学問の神として親しまれる。

小倉百人一首では菅家。

大阪市東淀川区にある
「淡路」「菅原」の地名は、
道真が大宰府に左遷される際、
当時淀川下流の中洲だったこの地を
淡路島と勘違いして上陸したという
伝説にちなんだ地名である。

道真が、
失意の中で尼崎に立ち寄ると、
悲しみで人だけでなく草木もしおれた。

だが、ネギだけがしゃんとしており、
村人はそのネギを憎み、
食べなくなったという言い伝えがある。

延喜元年(901年)、
道真がとりわけ愛でてきた梅の木が
一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、
その地に降り立ったという飛梅伝説がある。

また、桜は、
悲しみのあまりその場で枯れてしまい、
松は、追ってきたが途中力尽き
その地で根をおろしたという言い伝えもある。

東風吹かば
匂いおこせよ
梅の花
主なしとて
春な忘れそ

菅原道真

2019/02/20

閉店時の修理案内看板

2月20日
水曜日

閉店時の修理案内看板

昨年の9月ぐらいから
閉店時に来られたお客様に対して

カギをかけて修理内容のメモを
ポストに入れておいて下さいと言う看板を
掲げるようにしましたが

少しずつ
置いて行ってくださるお客様が増えて来ました。

ありがとうございます!

今後とも
宜しくお願い致します!

閉店時の修理案内看板

2019/02/20

千島列島・南樺太

2月20日
水曜日

千島列島・南樺太

1946年(昭和21年)2月20日

ソ連が千島列島・南樺太の領土編入を正式に宣言。

1951年(昭和26年)9月8日

サンフランシスコ講和条約締結により、
南樺太の領有権を日本政府は放棄した。

ソビエト連邦は
サンフランシスコ講和条約締結国でなく、
南樺太の領有権の帰属先は条約上は
未定のままとなっている。

冷戦下の
1952年(昭和27年)3月20日

アメリカ合衆国上院は、
同年4月28日に発効する
サンフランシスコ平和条約の解釈から
南樺太の領土、権利、権益を
ソビエト連邦の利益のために、
南樺太の権利、権原及び権益を
ソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない、とする決議を行っている。

しかし、
このような議論は一般的なものではなく、
日本政府もサンフランシスコ平和条約の立場上、
積極的な領土返還要求を行ってはいない。

この点が、
いわゆる北方領土問題(北方地域)とは異なっている。

つまり
ロシア(旧 ソ連)は千島列島と南樺太を
実行支配はしているが
サンフランシスコ平和条約によって
世界が認めたロシアの領土ではないと言う事。

千島列島と南樺太は
我が国の領土ですよ!

それをちゃんと主張しないから
もっと大きく出ないから
わずかな北方四島すら
帰って来ないのではないですか?

Facebookで
旧ソ連であるウクライナの青年が
千島列島と南樺太は日本の領土です!と
言ってくれているのを読みました。

旧ソ連の青年ですら
日本の領土だと言ってくれているのに
日本人が声をあげなくてどうするんですか?

千島列島・南樺太