2019/03/18
日本を尊敬とやまない国 パラオ
3月18日
月曜日
日本を尊敬してやまない国
パラオ
パラオの国旗は、
どうして日の丸とデザインが似ているのか。
それには深いわけがある。
パラオはドイツの植民地だったが、
第一次大戦下、
この地域の戦争でドイツに勝った日本は、
戦後、国際連盟から
パラオを含むミクロネシア地域を
委任統治することを求められた。
日本はたくさんの移民をこの地に送り、
産業、教育、文化の発展に大きな功績を残した。
第二次世界大戦後、
この地域を占領したアメリカは、
日本文化の影響を徹底的に破壊した。
南洋神社は取りつぶされた。
校庭の二宮金次郎の銅像は引きずり降ろされた。
しかし、
パラオ人は心の中では、
勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い、
日本統治時代を懐かしんでいる。
その証拠にパラオ人の8割は、
その姓名のどちらかに、
日本式の名前を付けているといわれる。
例えば、
れっきとしたパラオ人の上院議員のなかに、
ウメタロウさんという方がいる。
この方はスティーブ・ウメタロウさんという。
ウメタロウは「名」ではなくて
この方の「姓」だったのである。
おそらく、
身近にウメタロウという名前の
尊敬すべき日本人がいたに違いない。
1994年、パラオはアメリカから独立した。
独立にあたり国旗を制定することになり、
国民の間から一般公募した結果、
日の丸をもじった
今のデザインに決まったというわけである。
ただし、パラオの国旗の満月は、
日の丸の旗の太陽とは違って、
中心から少しズレている。
日本に失礼だからと、
わざと中心をはずしたのだそうだ。
これはパラオの人たちの
慎み深い態度をよく表している。
パラオの国旗は、
日の丸は侵略のシンボルなどではないこと。
かつて日本の統治下にあった国で、
日本の日の丸を模した国旗がつくられるほど、
戦前の日本と日本人は
アジアの人たちから深く尊敬されていたのだ
2019/03/17
兵庫消防団第六分団 3月の定期訓練
3月17日
日曜日
兵庫消防団第六分団
3月の定期訓練
本団主催の
林野火災訓練に
班長以下3名の団員が行ったのち
和田岬小学校にて
林野火災訓練でやっているのと同じように
2台のポンプを使い
プールと校舎の屋上にて
中継送水を想定した訓練を行いました。
2019/03/16
日本を救った真の友好国
3月16日
土曜日
日本を救った真の友好国
スリランカ
1951(昭和26)年9月6日午前11時
スリランカ代表の
J・R・ジャヤワルダナの演説が始まった。
舞台は米国サンフランシスコ講和会議である。
51カ国からの代表が集まって、
日本との講和条約を結び、
日本の独立を認めるかどうかを議論する場であった。
米国が中心となって、
日本の独立を認める講和条約案がまとめられていたが、
ソ連は日本の主権を制限する対案を提出し、
さらに中国共産党の出席を求めたりして、
審議引き延ばしを図っていた。
ジャヤワルダナ代表は、
自らはスリランカ代表ではあるが、
「日本の将来に対するアジアの人々の全般的態度における彼らの感情をも述べうる」として、こう語った。
アジアの諸国、
セイロン(注:スリランカ)、インド及びパキスタンの
日本に対する態度を活気づけた主要な理念は
日本は自由であるべきであるということであります。
「自由であるべき」とは、
日本の占領を解いて、独立を回復させるべき、
という意味である。
「アジア隷従人民が
日本に対して抱いていた高い尊敬のため」
講和条約への賛成を表明した後、
ジャヤワルダナ代表はその理由を述べた。
アジアの諸国民が
日本は自由でなければならないということに
関心をもっているのは何故でありましょうか。
それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、
そしてまた、
アジアの諸国民の中で日本だけが強力で
自由であり日本を保護者にして
盟友として見上げていた時に、
アジア隷従人民が日本に対して抱いていた
高い尊敬のためであります。
私は、
アジアに対する共栄のスローガンが
隷従人民に魅力のあったこと、
そしてビルマ、インド及び
インドネシアの指導者のあるものがかくすることにより
彼等の愛する国々が解放されるかも知れないという
希望によって日本人と同調したという
前大戦中に起こった出来事を
思い出すことができるのであります。
「共栄のスローガン」とは、
日本が大戦中に唱えた「大東亜共栄圏」のことであり、
実際に欧米諸国の植民地支配からの
独立を目指す国々の代表が東京に集まって、
「大東亜会議」が開催されている。
さらにビルマ、インド、インドネシアでは、
日本が支援して設立された独立軍が、
これらの国々の独立戦争に大きな役割を果たした。
ジャヤワルダナ代表は、
日本に対する賠償請求権を放棄する、と続け、
その理由として、
仏陀の「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、
ただ愛によってのみ消え去るものである」を引いた。
ジャヤワルダナの演説が終わると、
賞賛の声の嵐で
会場の窓のガラスが割れるほどであったと
『サンフランシスコ・ニュース』は報じている。
また『サンフランシスコ・エグザミナー』紙は
「褐色のハンサムな外交官が、
セイロン島よりやって来て、
世に忘れ去られようとしていた
国家間の礼節と寛容を声高く説き、
鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」と評した。
この後、
ソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く
49カ国が講和条約に署名し、
翌年4月28日、
日本はついに独立を回復したのだった。