2019/03/29
ショーケン逝く
3月29日
金曜日
ショーケン逝く
「ショーケン」の愛称で親しまれた
俳優、歌手の萩原健一
(はぎわら・けんいち、本名・敬三=けいぞう)さんが
26日午前10時30分、
消化管間質腫瘍のため東京都内の病院で死去した。
68歳だった。
告別式は近親者で済ませた。
埼玉県生まれ。
1967年、
グループサウンズ「ザ・テンプターズ」の
ボーカルとしてデビュー。
「神様お願い!」「エメラルドの伝説」など
立て続けにヒット曲を出し、
ザ・タイガースと人気を二分した。
グループを解散した70年代初頭から
本格的に俳優に転じ、
テレビドラマ「太陽にほえろ!」の
「マカロニ刑事」役で強い印象を残した。
その後も「傷だらけの天使」では
水谷豊さんとの名コンビが評判を呼び、
倉本聰さん脚本の
「前略おふくろ様」では
板前修業中の若者を演じ、
それまでの型破りなイメージとは違う
優しい青年を好演した。
映画でも「股旅」「青春の蹉跌さてつ」や
黒沢明監督の「影武者」を始め、
「居酒屋ゆうれい」「いつかギラギラする日」など
数多くの作品に出演、
個性派俳優としての地位を固めた。
2017年には
歌手生活50周年を記念したアルバムを発売し、
記念ライブも開催。
18年にも自ら作詞・作曲した新曲を発売し、
NHKのドラマ「不惑のスクラム」に出演していた。
結婚、離婚を繰り返し、
1983年には大麻の不法所持容疑、
2005年には映画出演料を巡る
恐喝未遂容疑で逮捕されるなど、
私生活のスキャンダルでも世間の注目を浴びた。
11年から闘病生活を送っていたが、
本人の希望で病名の公表などを控えていた。
ショーケンは
自分等にとっては
テンプターズのボーカルよりも
思春期に活躍した青春スター
カッチョいい憧れの兄貴でした❗
ショックです😢
ショーケン❗
ありがとうございました❗
安らかにお眠り下さい😢🙏
2019/03/28
竹内都子のお芝居
3月28日
木曜日
竹内都子のお芝居
オイラの大学の同級生
竹内都子が
お芝居に出演します❗
障害者施設の性について問う
社会派の作品となっています。
下北沢駅前劇場
4月10日~21日まで
興味のある方
お近くの方は
ぜひぜひご覧になって下さい❗
宜しくお願いします🙇⤵️
2019/03/28
三ツ矢サイダーの日
3月28日
木曜日
三ツ矢サイダーの日
「み(3)つ(2)や(8)」の語呂合わせ。
アサヒ飲料が制定。
三ツ矢サイダーは、
兵庫県川辺郡多田村字平野
(現在の川西市平野 多田銀山の一部)で
平野鉱泉が発見されたことにはじまる。
かつてこの地では
摂津三湯に数えられた名湯
「平野の湯」と呼ばれる炭酸泉の湯治場があったが、
江戸時代末期には廃れていた。
明治時代に入り、
外国人接待用の炭酸水を調達するために
宮内省の命を受けて全国の水源を調査していた
イギリス人理学者ウィリアム・ガランによって
平野鉱泉が再発見され、
炭酸水の御料品工場が建設された。
1884年(明治17年)に
三菱財閥が宮内庁から多田銀山の払い下げを受け、
三菱商会が「平野水」として炭酸水を販売。
1885年(明治18年)には明治屋が採取権を得て、
源満仲にまつわる当地の言い伝えから
「一本矢礦泉」に改名して販売。
1889年(明治22年)には
「三ツ矢平野水(みつやひらのすい)」
の名称で販売された。
しかし販売不振が続いたため、
1905年には
三ツ矢平野礦泉から販売された。
なお平野水は夏目漱石も愛飲しており
『行人』・『思い出す事など』にも登場、
また大正天皇の皇太子時代の
1897年(明治20年)には御料品としても採用された。
1907年(明治40年)に帝国礦泉株式会社
(旧 三ツ矢平野礦泉合資会社)が設立され、
従来の平野水を元に、
砂糖を煮詰めた茶褐色のカラメルや
イギリスから輸入したサイダーフレーバーを加えた
「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」を発売し、
1921年に
「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称されて販売された。
1921年(大正10年)に
加富登麦酒が帝国礦泉株式会社と日本製壜を吸収合併し
日本麦酒鑛泉株式会社となり、
1932年(昭和8年)に
大日本麦酒株式会社と併合されたが、
「三ツ矢シャンペンサイダー」は
日本麦酒鑛泉のユニオンビールと共に
引き続き製造販売された。
太平洋戦争では
サイダーは軍需品だったため製造が続けられていたが、
末期には工場を軍需工場として貸し出されたり、
戦災で設備の一部を焼失するなどしていたため、
終戦の翌年の1946年(昭和21年)7月まで
製造が中断されていた時期があった。
1946年(昭和21年)7月から製造が再開されたが、
国による砂糖の統制が行われていたため、
使用が解禁されたばかりの
人工甘味料ズルチンに切り替えて製造再開
(のちにズルチンの安全性に疑問が出たため、
自主的に使用中止)。
1951年(昭和26年)には
砂糖の統制が終了したことから、砂糖を使った
「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」も発売。
なお「シャンパン」の名称使用について、
フランスのシャンパンメーカーから
全国清涼飲料連合会に抗議が来たため、
1968年(昭和43年)に「三ツ矢サイダー」に改名した。
記念日は
語呂合わせですが、
三ツ矢サイダーの歴史は長いですね❗