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2019/04/05

物部守屋

4月5日
金曜日

物部守屋(もののべのもりや)

585年4月5日(敏達天皇14年3月1日)

仏教排斥を唱える物部守屋が、
疫病流行の原因が仏教崇拝にあると奏上。

用明天皇2年(587年)、
かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と
排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した。

蘇我軍は
物部氏の本拠地であった河内国渋河
(大阪府東大阪市布施)へ攻め込んだが、
敵の物部守屋は
稲城(いなき、稲を積んだ砦)を築き、
自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦するので、
蘇我軍は三たび退却した。

聖徳太子こと厩戸皇子(当時14歳)は
蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、
白膠木(ぬるで)という木を伐って、
四天王の形を作り、
「もしこの戦に勝利したなら、
必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」
という誓願をした。

その甲斐あって、
味方の矢が敵の物部守屋に命中し、
彼は「えのき」の木から落ち、
戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。

その6年後、推古天皇元年(593年)、
聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で
四天王寺の建立に取りかかった。

寺の基盤を支えるためには、
物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという
(なお、蘇我馬子の法興寺は
上記の戦いの翌年から造営が始まっており、
四天王寺の造営開始はそれから数年後であった)。

当初
物部守屋の亡くなった土地に
四天王寺を建てたらしいのですが、

それが
現在の大阪の森ノ宮辺りで、
物部守屋が眠っているので、
守屋の森と呼ばれていたのが
森ノ宮と
呼ばれるようになったようですね❗

物部守屋

2019/04/05

清明

4月5日
金曜日

清明(せいめい)

二十四節気の一つ。

穀雨前日までである。

万物がすがすがしく明るく美しいころ。

『こよみ便覧』には
三月節に「万物発して清浄明潔なれば、
此芽は何の草としれるなり」と記されている。

様々な花が咲き乱れ、
お花見シーズンになる。

「清明」を花言葉にする花は
キンポウゲ科デルフィニウム属の
ヒエンソウ (Delphinium ajacis) である。

清明

2019/04/04

幸せの日

4月4日
木曜日

幸せの日

女の子の節句(ひなまつり)が3月3日、
男の子の節句(こどもの日)が5月5日、
その間の今日が4月4日が
『4(し)と4(し)』の合わさる日として
『幸せの日』と云われている。

また、
男子(だんし)と女子(じょし)が
歩み寄った日とも云われ、
『男子と女子の夫々の「子(し)」』が合わさる日
『幸せの日』と云われる事もある。

幸せの日
それはええ日やな❗

オカマの日とも言われていますね😄

幸せの日