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2019/06/07

安土城

6月7日
金曜日

安土城

1576年6月7日
(天正4年5月11日)

安土城天守閣が完成。

安土城(あづちじょう)は、
琵琶湖東岸の安土山
(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった
日本の城(山城)。

城址は国の特別史跡で、
琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。

1576年(天正4年) 1月
織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、
近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった
安土山に築城を開始。

1579年(天正7年)5月
完成した天主に信長が移り住む。
同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、
ルイス・フロイスが著書『日本史』に記している。

1582年(天正10年) 5月15日
明智光秀が饗応役となった
徳川家康の接待が行われている。

同29日の
京都本能寺に信長が光秀の謀反により自害した
本能寺の変の際は
蒲生賢秀が留守居役として在城していたが、
信長の自害後に蒲生賢秀・氏郷父子は
本拠地日野城に信長の妻子などを安土から移動させ退去。

山崎の戦いの後、
明智秀満率いる明智軍の退却後、
天主とその周辺建物(主に本丸)を焼失した。

本能寺の変以降も
しばらく織田氏の居城として、
信長の嫡孫秀信が清洲会議の後入城するなどと、
主に二の丸を中心に機能していた。

しかし、
秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、
1585年(天正13年)をもって
廃城されたと伝わっている。

本物は
焼失して残っていませんので
画像は
伊勢安土桃山文化村に復元された
安土城です。

安土城

2019/06/06

梅の日

6月6日
木曜日
芒種

梅の日

和歌山県田辺市の
紀州田辺うめ振興協議会(紀州梅の会)が
2006年(平成18年)に制定。

天文14年4月17日
(新暦1545年6月6日)

京都・賀茂神社の例祭・葵祭で
後奈良天皇が神事をした際に
梅が献上されたという故事にちなむ。

梅の日

2019/06/06

芒種(ぼうしゅ)

6月6日
木曜日

芒種(ぼうしゅ)

二十四節気の一つ。

芒(のぎ 、イネ科植物の果実を包む穎(えい)
すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)
を持った植物の種をまくころ。

『暦便覧』には
「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」
と記されている。

実際には、現在の種まきはこれよりも早い。

西日本では梅雨入りのころ。

沖縄県では小満から芒種が梅雨の時期に当たり、
梅雨のことを沖縄方言で
「小満芒種(すーまんぼーすー)」と言う。

芒種(ぼうしゅ)