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2019/08/11

兵庫城跡

8月11日
日曜日
山の日

兵庫城跡

現在の
神戸市兵庫区の
イオンモール神戸南と新川運河一帯には
かつて
織田信長の重臣
池田恒興が築いた
兵庫城と言うお城がありました。

兵庫城(ひょうごじょう)は、
兵庫県神戸市兵庫区中之島
(摂津国兵庫津)周辺にあった日本の城である。

尼崎藩時代には
兵庫陣屋と呼ばれ奉行が置かれ
明治時代には兵庫県庁があった。

神戸港の西に兵庫港という港がある。

兵庫港は
江戸時代まで良港として栄えた兵庫津の跡で、
また平清盛が遷都とした福原京がある。

南北朝時代には戦いの中心となり、
また北側には山陽道が通り、
海陸の集散地でもあり交通の要衝でもあった。

兵庫城が
城として機能していたのは短い期間で、
明治時代以降には兵庫港の大規模な改修や、
近代以降の都市化により遺構は失われてしまった。

天正6年(1578年)11月

有岡城の戦いで
荒木村重が突然織田信長に謀反をおこした。

その有岡城も落城し荒木村重は花隈城へ逃走し、
そこで花隈城の戦いが行われたが、
織田信長軍の武将で池田恒興(信輝)・輝政父子により
花隈城も落城した。

その功により、
織田信長より兵庫の地を与えられた。

摂津国の大守になった池田恒興は、
1581年(天正9年)
花隈城には入城せず兵庫津に城を築いた。

その時の様子は、
「池田信輝此津守領の時、花隈城を毀り、
其材石を移してここに築く」
(『摂津名所図会』)とある。

しかし
1583年(天正11年)
池田恒興わずか2年で美濃国大垣城に移封され、
兵庫城下は豊臣秀吉の直轄地となり
片桐且元が代官として入城した。

呼称も
兵庫城から片桐陣屋と称されていた。

1607年(慶長12年)に
朝鮮使節がここに招かれており、
その日記の中には、
「及館主所周以城池門設三重(略)
支供官乃秀頼代官片桐主膳」とある事から
館の周りには堀があり、
三重の門があったことが伺い知れる記載となっている。

江戸時代まで
朝鮮使節は合計12回実施されるが、
その内11回は兵庫津に寄港している。

尼崎藩は朝鮮使節の接待役を命じられ、
約2年前から準備が始められ、
港の整備や宿泊先の手配をしていた。

1615年(元和元年)
大坂城落城後は
尼崎兵庫津一帯は尼崎藩に組み込まれ
兵庫城址には陣屋(兵庫津奉行所)が置かれた。

1769年(明和6年)、
上知令により兵庫津一帯は天領となり、
兵庫城址の陣屋が勤番所に改築された。

明治時代には
勤番所が初代の兵庫県庁となり、
伊藤博文が初代知事として赴任した。

1873年(明治6年)まで
外郭となっていた土塁が残っていたが
市街地発展のため取り除かれ、
翌1874年(明治7年)に
兵庫港が大幅に改修され、
兵庫新川運河が作られたため
兵庫城跡は破壊されてしまった。

兵庫城跡

2019/08/11

ガンバレの日

8月11日
日曜日
山の日

ガンバレの日

1936年(昭和11年)8月11日

ベルリンオリンピックの
女子200m平泳ぎ決勝で、
ラジオの実況をしていた日本放送協会の
河西三省アナウンサーが前畑秀子選手に

「前畑ガンバレ」と20回以上連呼し、
日本中をわかせたことに由来。

前畑は優勝し、
日本人女性として初めての金メダルを獲得した。

ガンバレの日

2019/08/11

山の日

8月11日
日曜日

山の日

山の日(やまのひ)は、
日本の国民の祝日の一つである。

日付は8月11日。

2016年(平成28年)
1月1日施行の改正祝日法で新設された。

山の日は、2014年(平成26年)に制定された。

祝日法
(昭和23年7月20日法律第178号)2条では、
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを
趣旨としているが、
山に関する特別な出来事などの
明確な由来があるわけではない。

「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律
(平成26年法律第43号)」が
2016年1月1日に施行され、
8月11日は
同年より国民の祝日「山の日」となった。

2007年には
「みどりの日」が5月4日に移動したことで
4月29日は「昭和の日」に改称されたが、
祝日の新設は1996年の「海の日」以来、
20年ぶりとなる。

なお、2020年(令和2年)は
東京五輪・パラリンピック特措法により、
東京オリンピックの閉会式の翌日に当たる
8月10日(月曜日)に変更される。

山の日