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2019/08/14

すじねぎの薄焼き

8月14日
水曜日

西神戸センター街
お好み焼き鉄板焼き
さんぺい

すじねぎの薄焼き。

味付けは
醤油味で一味を降る。

大阪にも広島にもない
神戸独特のお好み焼き。

これぞ
神戸焼きの真髄❗

薄焼きはソースではなく
醤油が宜しい❗

すじねぎの薄焼き

2019/08/14

上米の制

8月14日
水曜日

上米の制

1722年8月14日
(享保7年7月3日)

江戸幕府が、
米を上納を条件に
大名の参勤交代による江戸滞在を
半年に短縮する上米の制を導入。

徳川幕府の法制度は
本当に
よく出来ているなと
いつも感心させられる。

地方から
強制的に物や金を集め
地方の力を弱めて行き
中央集権を確実に固めていった。

逆に言えば
毛利・島津・前田・上杉・伊達など
有力な地方大名が
反旗を翻すする事をそれだけ恐れていたんだろう。

上米の制

2019/08/13

尼崎城

8月13日
火曜日

尼崎城

昨年(平成30年)
天守閣が
みごとに復元された尼崎城に行って来ました。

尼崎城(あまがさきじょう)は、
兵庫県尼崎市にあった日本の城である。

江戸時代初期に築城された平城。

元和3年(1617年)

戸田氏鉄(とだうじかね)が5万石で入封し築いた。

3重の堀をもち、
本丸には2重の付櫓を2棟付属させた
複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられた。

城主は、
築城から廃城まで3氏12代が入れ替わった。

戸田氏の後は、青山氏4代、
そして
正徳元年(1711年)桜井松平家の
松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、
以後
桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。

最後の藩主は松平忠興である。

歴代城主については
尼崎藩の歴代藩主の一覧に記載がある。

弘化3年(1846年1月28日、
本丸の女中部屋付近より出火。本丸御殿が即日全焼した。

再建の速度は領民の協力もあって甚だ早く、
その年の7月には着工、
翌年の1月28日には上棟式、
そして6月28日に完成したという
(「尼崎城本丸平面図」)。

明治6年(1873年)の廃城令により
建物は一部を除き取り壊されたが、
明治7年(1874年)、
本丸御殿の一部が
菩提寺・深正院(市内大物町)の本堂として移築された。  

この本堂は戦前まで残っていたが、戦災に遭い焼失した。

本丸跡は
尼崎市立明城小学校の敷地として利用されている。

城跡の一部に
尼崎城址公園が整備され、
石垣および土塀が模擬復元されている。

公園内には尼崎市立中央図書館がある。

2018年(平成30年)には公園中央付近に、
資産家の寄贈による外観復元天守が完成した。

家電量販店
・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)
創業者の安保詮は、
創業の地に恩返しがしたいと考え、
10億円以上の私財を投じて天守を再建した上で 尼崎市に寄贈したいとして、
2015年(平成27年)11月25日付で、
市有地の利用などについて
市と「尼崎城の建築及び寄附に関する協定」を締結した。

大きさや外観は
当時の建物を再現するが、
近世天守跡地は周辺施設が既に様々にあって
問題の発生が予想されるため、
これを避け、
北西約300メートルずれた地点にある西三の丸跡地、
すなわち、
尼崎城址公園内に築かれることとなった。

尼崎市は、
「一口城主」や記名される
「一枚瓦」による寄付とサポーターの募集、イベントなどを行っている。

尼崎城