2019/08/18
兵庫消防団第六分団 8月の定期訓練 昼食
8月18日
日曜日
兵庫消防団第六分団
8月の定期訓練
安全管理訓練
今回は初の試み
地元の
某有力企業さんのご協力とご指導の元
会議室内において
座学とグループディスカッションにて
安全管理についての
お勉強をさせて頂きました。
良い勉強になりました❗
昼食は
淡路屋さんのお弁当
美味しゅうございました❗
2019/08/18
兵庫消防団第六分団 8月の定期訓練
8月18日
日曜日
兵庫消防団第六分団
8月の定期訓練
安全管理訓練
今回は初の試み
地元の
某有力企業さんのご協力とご指導の元
会議室内において
座学とグループディスカッションにて
安全管理についての
お勉強をさせて頂きました。
良い勉強になりました❗
2019/08/17
清水寺建立
8月17日
土曜日
清水寺建立
798年8月17日
(延暦17年7月2日)
坂上田村麻呂が清水寺を建立。
清水寺(きよみずでら)は、
京都府京都市東山区清水にある寺院。
山号は音羽山。
本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。
もとは法相宗に属したが、
現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。
西国三十三所観音霊場の第16番札所である。
宝亀9年(778年)
大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心
(後に延鎮と改名)は、
夢のお告げで北へ向かい、
山城国愛宕郡八坂郷の東山、
今の清水寺の地である音羽山に至った。
金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、
そこにはこの山に篭って滝行を行い、
千手観音を念じ続けている
行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。
年齢200歳になるという行叡居士は賢心に
「私はあなたが来るのを長年待っていた。
自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」
と言い残して、去っていった。
行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、
行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、
行叡の旧庵に安置した。
これが清水寺の始まりであるという。
その2年後の宝亀11年(780年)
鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ
坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、
修行中の賢心に出会った。
田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、
薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、
延鎮より殺生の罪を説かれ、
観音に帰依して観音像を祀るために
自邸を本堂として寄進したという。
後に征夷大将軍となり、
東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、
自身が建立した清水寺に平定参拝をしたという。
その後、
若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天と
地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、
無事に都に帰ることができた。
延暦17年(798年)
田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して
本堂を大規模に改築し、
観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、
ともに祀った、という。
以上の縁起により、
清水寺では
行叡を元祖、延鎮を開山、
田村麻呂を本願と位置づけている。