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2019/09/11

尖閣諸島国有化

9月11日
水曜日

尖閣諸島国有化

2012年(平成24年)9月11日

日本政府が地権者から
尖閣諸島の魚釣島及び南小島、北小島を
20億5000万円で売買契約し、国有化した。

2008年12月8日
中華人民共和国は
海洋調査船「海監46号、海監51号」2隻を、
沖縄県・尖閣諸島の日本領海内に侵入させた
(尖閣諸島中国船領海侵犯事件)。

そして
2010年9月7日の
尖閣諸島中国漁船衝突事件
(以下、漁船衝突事件)以降は、
ほぼ毎月の頻度で、
農業部漁業局(BOF)の「漁政」や
国務院国家海洋局(SOA)
海監総隊の「海監」などの公船を
尖閣周辺海域に派遣したり、領海侵犯を繰り返し、
尖閣諸島の日本の有効支配を打破するための
攻勢を強めていた。

それらの動きを受け、
2012年4月16日(日本時間17日未明)、
当時の都知事石原慎太郎は
ワシントンのヘリテージ財団主催の
シンポジウムで行った講演で、
尖閣諸島を地権関係者から買い取る方向で
基本合意したことを明らかにした。

購入の動機については、
島に港湾施設などを整備して
日本の有効支配を確たるものにするためとした。

地権関係者は
埼玉県さいたま市在住で、
1970年代から所有者となっていた。

石油関連企業や政治家から
売却の話が持ち込まれていたが全て断っていた。

石原、地権関係者、地権関係者と
30年来の友人である山東昭子参院議員の仲介により
半年にわたる三者の極秘交渉の末、
「個人で所有するには限界がある」
「政府に買い上げてもらいたいが、
今の政府は信用できない」などと感じた地権関係者が
都に売却を決断したとされていた。

東京都は
購入資金を捻出するために
東京都尖閣諸島寄附金を募集し、
2012年5月18日までに
56,239件、7億6609万3340円が、
8月14日までに約9万7千件、計14億円超が、
9月11日の国有化直後の9月13日までには
102,622件、14億7327万円の寄附が集まった。

そして
「購入する前に上陸調査をする必要がある」として
政府に上陸を申請したが許可されず、
9月2日に海難救助船「航洋丸」をチャーターし
尖閣諸島を洋上から視察した
(東京都尖閣諸島現地調査)。

この東京都による購入計画が浮上すると、
丹羽宇一郎駐中大使は6月7日付け
『フィナンシャル・タイムズ』によるインタビューで、「購入が実行されれば日中関係に
重大な危機をもたらすことになる」として、
日本政府関係者として初めて反対を明言した。

これに対して
石原都知事は不快感を示し、
藤村修官房長官は「領土問題は存在しない」とする
日本政府の立場から
「政府の立場を表明したものでは全くない」と批判した。

また、関連して、
同年5月4日に横路孝弘・衆議院議長(旧社会党)と
習近平国家副主席との会談に同席した丹羽が、
「(尖閣諸島購入を支持する)
日本の国民感情はおかしい、
日本は変わった国なんですよ」と
発言していたことも判明した。

丹羽はこの件で改めて
与野党やメディアから批判を浴びその後更迭された。

これらの
東京都による尖閣諸島購入の流れに
中国政府は外交部の声明で激しく反発した。

このため日本政府(野田内閣)は
中国政府の反発を和らげ
「平穏かつ安定的な維持管理」をするためとして、
国有化をする方針を決め、
2012年9月3日に
政府高官と埼玉県在住の地権者が協議し国有化に合意し、
9月5日にはこれが明らかになった。

9月10日には
尖閣諸島の国有化に関する関係閣僚会合を開き、
それまで賃借であった
魚釣島、南小島、北小島の3島を地権者より購入し
正式に国有化するという方針を最終決定した。

翌9月11日、
日本政府は魚釣島、北小島、南小島の3島を
20億5千万円で購入し、
日本国への所有権移転登記を完了した。

購入費は
平成24年度予算の予備費から支出された。

尖閣諸島国有化

2019/09/10

下水道の日

9月10日
火曜日

下水道の日(2001年までは全国下水道促進デー)

下水道の整備の促進について
人々の理解と協力を呼びかけようと、
1961年(昭和36年)に
建設省(現国土交通省)が制定。

この時期が
立春から数えて220日目にあたる
二百二十日で台風による
水害が発生しやすい時期であるために、
下水道をアピールするのに最適であるとして
この時期が選ばれた。

下水道の日

2019/09/09

自転車屋の生き物歳時記 エンマコオロギ

9月9日
月曜日

自転車屋の生き物歳時記

エンマコオロギ

昨日のぶどう狩りで
エンマコオロギを見ました。

コオロギの季節になっていますが
ぜんぜん涼しくならない😅

エンマコオロギ
(閻魔蟋蟀、学名: Teleogryllus emma)は、
バッタ目(直翅目)・コオロギ上科・コオロギ科に
分類されるコオロギの一種。

日本本土に生息するコオロギ最大種。

成虫の体長は26~32mmほど。

背面は一様に黒褐色、腹面は淡褐色だが、
体側や前翅は赤みを帯びる。

体つきは太短く、
頭部から腹部までほぼ同じ幅で、
これまた短く頑丈な脚がついている。

頭部は大きく、光沢のある半球形で、
口器がわずかに下向きに突き出る。

若干ではあるがオスの方がやや顎が長く、
メスは丸顔である。

触角は細く、体よりも長い。

複眼の周りに黒い模様があり、
その上には眉のように淡褐色の帯が入る。

この模様が
閻魔の憤怒面を思わせることからこの和名がある。

また、
日本の昆虫学者である大町文衛と松浦一郎によって、
学名の種小名にも emma が充てられている。

身近な昆虫の一つである。

メスには長い産卵管があり、
前翅の翅脈は単純に前後に直線的に伸びる。

一方、オスは産卵管がなく、
前翅にやすり状の発音器や共鳴室を備え、
翅脈が複雑な模様をなす。

幼虫は体が小さく、
翅がないこと以外成虫と同じような姿だが、
脱皮の直後はやや胴長になる。

終齢幼虫は成虫によく似るが、
亜終齢になると前胸背後端に翅芽が現れる。 

昼間は草木の茂みや枯れ草、資材などの陰に潜む。

夜になると周辺を徘徊し、灯火にも飛来する。

食性は雑食で、植物の他に小動物の死骸なども食べる。

天敵は鳥類、ニホントカゲ、カエル、カマキリ
(特に地上性のコカマキリ)、寄生蜂などである。

敵が近付いた際は太い後脚で大きく跳躍して逃げるが、
成虫は長い後翅を羽ばたかせて飛翔することもある。

ただし飛翔は跳躍ほど敏捷ではなく、
直線的にゆっくり飛ぶ程度である。

オス成虫は鳴き声を発して他個体との接触を図る。

前翅を立ててこすり合わせ、
「コロコロリー…」とも「キリリリー…」、
「ヒヒヒヒヨヒヨヒヨ…」とも聞こえる鳴き声を出す。

通常の鳴き声は長く伸ばすが、
オス同士が遭遇し争う際は鳴き声が速く、短く切る
「キリリリッ」という声になる。

また、夏の暑い時期には夜しか鳴かないが、
秋が深まり気温が下がると昼に鳴くようになる。

エンマコオロギは
卵→幼虫→成虫という一生をおくる
不完全変態の虫である。

寿命は1年で、
日本の季節変化に合わせたものとなっている。

成虫は8~11月頃に出現する。

交尾はメスが上に乗る形で行い、
受精したメスは長い産卵管を地面に突き立て、
長さ3mmほどのソーセージ形をした卵を
一粒ずつ産卵する。

成虫は冬になると死んでしまうが、
卵はそのまま地中で越冬し、
周囲の水分を吸収しながら胚発生が進む。

卵は翌年の5~6月頃に孵化する。

幼虫は全身黒色で、
胸部と腹部の境界に白い横帯模様がある。

幼虫も成虫と同様に雑食性で、
いろいろなものを食べて成長する。 

脱皮を繰り返して終齢幼虫になると
白い帯が消えて腹側が淡褐色になり、
翅が短いこと以外はほとんど成虫と変わらなくなる。

充分に成長した終齢幼虫は物陰で羽化する。

背中が割れて淡褐色の成虫が現れ、
白く縮んだ翅を伸ばす。

成虫は体が黒くなると再び活動を始める。

成虫の期間は1~2か月ほどで、
この間に繁殖行動を行う。

北海道北部と南西諸島を除く
日本全国に広く分布する(北海道、本州、佐渡島、隠岐島、四国、九州、対馬)。

草原や田畑、人家の周囲などに生息し、個体数も多い。

自転車屋の生き物歳時記  エンマコオロギ