2019/10/25
週末立ち飲み 湯豆腐
10月25日
金曜日
週末立ち飲み
冷奴から
湯豆腐に変わっていました。
アサヒスーパードライ小瓶
黒糖焼酎れんと水割り4杯
ジャコ天
湯豆腐
カレーせんべい
いつになく
M重工のサラリーマンさんで
満員でした😅
2019/10/25
君が代の編曲者 フランツ・エッケルト
10月25日
金曜日
君が代の編曲者
フランツ・エッケルト
1880年(明治13年)10月25日
「君が代」の
フランツ・エッケルトによる編曲が完成し、
試演が行われる。
フランツ・エッケルト
(ドイツ語: Franz Eckert、
1852年4月5日 - 1916年8月6日)は、
プロイセンの軍楽家。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、
日本や朝鮮半島で活動した。
「君が代」に和声を付けたことや、
「大韓帝国愛国歌」を作曲したことで知られる。
1879年(明治12年)
エッケルト27歳のときに、
日本で音楽教師として奉職することを任ぜられた。
1880年(明治12年)
奥好義・林廣守作曲、林廣守撰定の
「君が代」に伴奏、和声を付けた。
以後、日本を離れるまで、
海軍軍楽隊、音楽取調掛、宮内省式部職、
陸軍戸山学校その他、
洋楽教育機関のほとんどすべてにかかわった。
1897年(明治30年)
英照皇太后の大喪の礼のために
『哀の極』(かなしみのきわみ)を作曲した。
海軍は明治初年の創設以来
英国式の軍制を採って来たが、
音楽に関しては、
当初のジョン・ウィリアム・フェントンによる
英国軍楽隊方式から、
エッケルトの着任以来、
ドイツ式の理論や教育が浸透した。
1899年(明治32年)、離日する。
帰国後、
故郷では温泉保養地のオーケストラなどの仕事しか
得られなかったため再びアジアでの活動を希望して
朝鮮半島に渡り、李王朝の音楽教師となり、
大韓帝国の軍楽隊の基礎を築くが、
日韓併合後は野に下り、
民間吹奏楽の指導者として西洋音楽の普及に貢献した。
京城(現ソウル)で客死した。
墓所は現在も韓国国内にある。
2019/10/24
兵庫消防団第六分団 不二製油防災訓練
10月24日
木曜日
霜降
兵庫消防団第六分団
不二製油防災訓練
毎年恒例の地元企業
不二製油さんの防災訓練
例年は
従業員さんたちが
放水訓練や
水消火器による放水訓練をされるのですが
今年は悪天候の為
室内にて
担架や毛布による傷病者搬送訓練となりました
皆さん
一生懸命に取り組んでおられました。