2019/10/30
たまごかけごはんの日
10月30日
水曜日
たまごかけごはんの日
2005年(平成17年)10月30日
島根県雲南市で開かれた
「第1回日本たまごかけごはんシンポジウム」
において制定。
たまごかけごはん自体は
古来からあるのに
記念日が出来たのは近年なんやな❗
2019/10/30
泗川の戦い(しせんのたたかい)
10月30日
水曜日
泗川の戦い(しせんのたたかい)
1598年10月30日
(慶長3年10月1日)
慶長の役・泗川の戦い
島津義弘、泗川城で明・朝鮮軍を大破する。
泗川の戦い(しせんのたたかい)は、
文禄・慶長の役における合戦の一つ。
日本の慶長3年
/明の万暦26年9月(1598年10月)
朝鮮半島の泗川で
島津義弘率いる島津軍7千が
明の武将董一元率いる数万(後述)の
明・朝鮮連合軍と戦って撃退した戦いである。
絶望的な戦力差があったにもかかわらず、
劣勢な島津軍が勝利した
伝説的な戦いとして知られているが、
明軍の数および死者数については
資料ごとにかなりの差がある。
篭城側の島津軍はその戦力差のため、
長期戦になれば不利になる恐れがあった。
一方、
包囲側の明軍も最低でも数万以上と推測される大軍を
長期間展開するだけの食糧はなかった上に、
島津軍の奇襲によって食料庫を焼失している。
その結果、
双方とも短期決戦を選ぶ他なかったと推測される。
心理面においては、
明・朝鮮軍が連合軍であるために指揮統制が難しく、
一度不測の事態によって混乱すると
収拾が難しかったと思われる。
そして敵軍がわずか7千と圧倒的に劣勢だったため、
勝利を楽観視していたのではないかと思われる。
これらの要因は、連合軍の弱点となったといえる。
一方の島津軍は、
この戦いに敗れれば日本軍の連携が崩壊し、
多くの味方が逃げ場を失うことを
強く認識していたものと思われる。
また島津の伝統的な釣り野伏せの戦術で
劣勢を覆した経験が幾度もあったことで、
全軍の意思も統一されていたと考えられる。
さらに味方の援軍を断って
島津家の兵だけで戦ったことにより、
少数ながらも軍としてのまとまりが
非常にあったものと思われる。
上記の要因が複合し、
島津軍の奇襲作戦や伏兵などが成功して
連合軍が混乱し瓦解したため、
寡兵の島津軍が勝利しえたと推測できる。
また
島津軍が大量の鉄砲を防御に使用し、
効果を挙げたことも大きな要因である。
2019/10/29
自転車屋の生き物歳時記 植物編 アザミ
10月29日
火曜日
自転車屋の生き物歳時記
植物編
アザミ
先日のトレッキングで
たくさんのアザミが
自生しているところがありました。
アザミ(薊)は、
キク科アザミ属 (Cirsium) 及びそれに類する植物の総称。
標準和名を単にアザミとする種はない。
スコットランドの国花。
葉は深い切れ込みがあるものが多い。
また葉や総苞にトゲが多く、
さわるととても痛いものが多い。
触れれば痛い草の代表である。
頭状花序は管状花のみで作られていて、
多くのキクのように
周囲に花びら状の舌状花がならばない。
花からは雄蘂や雌蘂が棒状に突き出し、
これも針山のような景色となる。
花色は赤紫色や紫色をしている。
種子には長い冠毛がある。
若いときには根出葉があり、
次第に背が高くなり、茎葉を持つが、
最後まで根出葉の残る種もある。
草原や乾燥地、海岸などに出るが、
森林内にはあまり出現しない。
別名刺草。
名前の由来は、
アザム〈傷つける、驚きあきれる意〉がもとで、
花を折ろうとすると
とげに刺されて驚くからという説がある。
スコットランドでは、
そのトゲによって外敵から国土を守ったとされ
国花となっている。
花言葉は「独立、報復、厳格、触れないで」。
青森県津軽地方や
青森市、東北町を中心とする
東北地方や長野県の一部では、
春先にアザミの若芽がスーパーマーケットに並び、
食用として売られ、主に味噌汁の具として使われる。
新芽や根は、
天ぷらなどにして山菜として食べられる。
「山ごぼう」や「菊ごぼう」などといわれることもあり、味噌漬けなどの加工品として
山間部の観光地・温泉地などで販売される
「山ごぼう」は多くの場合、
栽培されたモリアザミの根である。
世界に250種以上があり、北半球に広く分布する。
地方変異が非常に多く、
日本では100種以上あるとされるが、
現在も新種が見つかることがある。
さらに種間の雑種もあるので、
分類が難しい場合もある。
根が冬越しする他に、
綿毛(冠毛)の着いた果実が風で飛散して増える。
受粉は昆虫による虫媒花である。