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2019/02/15

佃煮の起源

2月15日
金曜日

佃煮の起源

1682年2月15日

大野佐吉が
浅草瓦町(現在の台東区浅草橋)で鮒佐を創業。

醤油で煮る現在の佃煮の形を創り上げる。

佃煮(つくだに)とは、
醤油と砂糖で甘辛く煮付けた日本の食べ物。

とりわけ小魚、アサリなどの貝類、
昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを
煮染めたものをこう呼ぶ。

シソやゴマなどを加えることもある。

牛肉の佃煮も目にする。

ご飯と一緒に食べると美味とされる。

江戸時代、
徳川家康は名主・森孫右衛門に
摂津国の佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の
腕の立つ漁師を江戸に呼び寄せるよう言い、
隅田川河口・石川島南側の干潟を埋め立てて住まわせた(東京都中央区佃島。

佃島の漁民は
悪天候時の食料や出漁時の船内食とするため
自家用として小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて
常備菜・保存食としていた。

雑魚がたくさん獲れると、
佃煮を大量に作り多く売り出すようになったといわれ、
保存性の高さと価格の安さから
江戸庶民に普及し、
さらには参勤交代の武士が
江戸の名物・土産物として各地に持ち帰ったため
全国に広まったとされる。

摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師が
江戸に呼び寄せられて
江戸の佃島で佃煮ができたらように言われていますが
実は大阪にいた時から
それを作っていた可能性の方が高いので
佃煮は東京の食べ物のように思われていますが
大阪の食べ物であったのではないでしょうか?






佃煮の起源

2019/02/15

春一番名付けの日

2月15日
金曜日

春一番名付けの日

安政6年(1859年2月15日)
旧暦2月13日

壱岐郷ノ浦の漁師53人が
五島沖で突風に遭い全員が死亡した。

それ以前から、
郷ノ浦の漁師の間で
春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれており、
これが「春一番」の語源とされていることによる。

春一番(はるいちばん)は、
北日本(北海道・東北)と沖縄を除く地域で
例年2月から3月の半ば、
立春から春分の間に、
その年に初めて吹く南寄り
(東南東から西南西)の強い風。

春一番が吹いた日は
気温が上昇し、
翌日などは寒さが戻ることが多い。

これを「寒の戻り」と言う。

春一番は
恐ろしい風の事を差す言葉やった訳です。

春一番名付けの日

2019/02/14

日本型バレンタインデーの起源

2月14日
木曜日
聖バレンタインデー

日本型バレンタインデーの起源

日本では、
1958年(昭和33年)ごろから流行した。 

ただし、
その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。

戦前に来日した外国人によって一部行われ、
第二次世界大戦後まもなく、
流通業界や製菓業界によって
販売促進のために普及が試みられたが、
日本社会に定着したのは、
1970年代後半であった。

「女性が男性に対して、
親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という
「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのも
このころであった。

なお、
バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、
一説に大田区の製菓会社
メリーチョコレートカムパニーの原邦生であるとされる。

しかし、
原邦生が行ったとされるイベントは
昭和33年であるのに対し、
神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の
昭和11年2月12日に
外国人向け英字新聞
『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、
「あなたのバレンタイン(=愛しい方)に
チョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を
既に掲載しており、
モロゾフ製菓がバレンタインチョコを
最初に考案した仕掛け人であるとされる説が
最有力である。

そして日本チョコレート・ココア協会によると、
1992年(平成4年)に聖バレンタイン殉教の地
イタリア・テルニ市から
神戸市に愛の像が送られており、
その理由は、
神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と
分かったからとの事である。

現代日本社会における
バレンタインデー文化の、起源、普及過程、社会的機能、歴史的意義などについては、
民俗学、社会学、宗教学、歴史学(文化史、商業史)の
各分野から研究されるべき事項であるが、
バレンタインデーに関するまとまった研究は存在しない。

日本型バレンタインデーの発祥は
やはり神戸だったんですね❗

日本型バレンタインデーの起源