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2019/07/25

最高気温記念日

7月25日
木曜日

最高気温記念日

1933年(昭和8年)7月25日

山形県山形市で
最高気温40・8度を記録したことに由来。

長らくこれが
日本の最高記温の記録となっていたが、

2007年(平成19年)8月16日に
埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で
40・9度を観測し、74年ぶりに記録が更新された。

最高気温記念日

2019/07/24

清涼殿落雷事件

7月24日
水曜日

清涼殿落雷事件

930年7月24日
(延長8年6月26日)

清涼殿に落雷して公卿2人が即死し、
菅原道真の怨霊との噂が流れる。

この年、
平安京周辺は干害に見舞われており、
6月26日に雨乞の実施の是非について
醍醐天皇がいる清涼殿において
太政官の会議が開かれることとなった。

ところが、
午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて
平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、
それから凡そ1時間半後に
清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。

この時、
周辺にいた公卿・官人らが巻き込まれ、
公卿では大納言民部卿の藤原清貫が
衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、
右中弁内蔵頭の平希世も
顔を焼かれて瀕死状態となった。

清貫は陽明門から、
希世は修明門から車で秘かに外に運び出されたが、
希世も程なく死亡した。

落雷は隣の紫宸殿にも走り、
右兵衛佐美努忠包が髪を焼かれて死亡。

紀蔭連は腹を焼かれてもだえ苦しみ、
安曇宗仁は膝を焼かれて立てなくなった。

更に警備の近衛も2名死亡した。

清涼殿にいて難を逃れた公卿たちは、
負傷者の救護もさることながら、
本来宮中から厳重に排除されなければならない
死穢に直面し、遺体の搬出のため大混乱となった。

穢れから最も隔離されねばならない
醍醐天皇は清涼殿から常寧殿に避難したが、
惨状を目の当たりにして体調を崩し、
3ヶ月後に崩御することとなる。

天皇の居所に落雷し、
そこで多くの死穢を発生させたということも
衝撃的であったが、
死亡した藤原清貫が
かつて大宰府に左遷された
菅原道真の動向監視を
藤原時平に命じられていたこともあり、
清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まった。

また、
道真の怨霊が雷神となり雷を操った、
道真の怨霊が配下の雷神を使い落雷事件を起こした、
などの伝説が流布する契機にもなった。

この落雷事件から
藤原道真公は
雷神を操る天の神だ!
天神だと畏れられるようになったんですね!
その後は
学問の神として尊敬される事になるんですね!

清涼殿落雷事件

2019/07/25

大阪天神祭本宮

7月25日
木曜日

大阪天神祭本宮

天神祭(てんじんまつり、てんじんさい)は、
日本各地の天満宮(天神社)で催される祭り。

祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、
25日前後に行われる。

一年のうち1月の初天神祭など、
ある月に盛大に行われることがある。

各神社で行われる天神祭の中では、
大阪天満宮を中心として大阪市で行われる
天神祭が有名である。

以下より大阪天神祭のことについて記述する。

日本三大祭
(他は、京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つ。

また、
生國魂神社の生玉夏祭、住吉大社の住吉祭と共に
大阪三大夏祭りの一つ。

期間は
6月下旬吉日 - 7月25日の約1か月間に亘り
諸行事が行われる。

特に、25日の本宮の夜は、
大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御
(ふなとぎょ)が行われ、奉納花火があがる。

大川に映る篝火や提灯灯り、
花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれている。

他に鉾流神事(ほこながししんじ)、
陸渡御(りくとぎょ)などの神事が行われる。

24日宵宮、25日本宮。

大阪天神祭本宮