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2019/08/16

五山送り火

8月16日
金曜日

五山送り火

五山送り火(ござんのおくりび)は、
毎年8月16日に
京都府京都市左京区にある
如意ヶ嶽(大文字山)などで行われるかがり火。

宗教・歴史的な背景から
「大文字の送り火」と呼ばれることがある。

山に画かれた字跡に点火する行為の起源については、
平安時代とも江戸時代とも言われているが、
公式な記録が存在するわけではない。

場所と行為を
具体的に特定した史料が登場するのは
近世に入ってからである。

『雍州府志』によると、
盂蘭盆会や施餓鬼の行事として行われていたとあり、
『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として
紹介されていることから、
江戸時代前期から中期までには
それに類する性格を持っており、
大文字、妙法、舟形、加えて所々の山、
原野で火を点けていた。

なお、
以前の京都は過度の森林利用のせいで
ハゲ山が多く、森林は少なく、
それが故に送り火という文化が
産まれたのではないかという説がある
(京都精華大学人文学部教授 小椋純一による)。

江戸時代前期以降、
京都の文化や地理を記した書籍が
好んで発刊されるようになった。

これらでは送り火についても取り上げている。

これより前の時期、
京都における民間の習俗について触れた史料は乏しく、
そのため、送り火については
江戸時代以降の史料を中心に見るより他ない。

五山送り火

2019/08/15

台風10号 詰所待機

8月15日
木曜日
終戦の日

台風10号
詰所待機

台風10号の到来により
神戸市に
防災指令2号が発令されたので
夕方から
消防団は詰所に待機。

満潮を迎える
午後7時過ぎに
班長以下4名が
管内の防潮堤の巡視を行うも
異状なし。

午後8時過ぎに
防災指令1号に切り替わったので
自宅待機となりました。

台風10号 詰所待機

2019/08/15

槇島城の戦い

8月15日
木曜日

槇島城の戦い

1573年8月15日
(天正元年7月18日)

宇治・槇島城に立て籠っていた
将軍・足利義昭が織田信長に降伏。

義昭は京を追放され、
室町幕府が事実上滅亡。

槇島城の戦い(まきしまじょうのたたかい)は、
元亀4年(1573年)2月から7月にかけて行なわれた織田信長と室町幕府第15代将軍足利義昭の戦い。

義昭が敗れて京都から追放され、
室町幕府は実質的に滅亡した。

この戦の後の7月28日、
元亀から天正への改元が行なわれた。

この後、
信長は8月に淀城で三好三人衆の1人
岩成友通を討ち取り(第二次淀古城の戦い)、
越前に出陣して朝倉義景を討ち取り(一乗谷城の戦い)、直後に北近江へ向かい
浅井長政も自害させた(小谷城の戦い)。

武田信玄は死亡し武田軍は撤退、
三好三人衆の残る2人三好長逸、三好政康は行方不明、
松永久秀、本願寺の総帥たる顕如は信長と和睦し、
ここに信長包囲網は瓦解した。

槇島城の戦い