2020/05/28
花火の日
5月28日
木曜日
花火の日
1733年(享保18年)のこの日(旧暦)
隅田川で
水神祭りの川開きが行われ、
慰霊を兼ねた花火が打ち上げられたことを記念。
隅田川の両国橋付近で水神祭りの川開きが行われ、
慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。
これが
「両国川開きの花火」の始まりであった。
この年は
第8代将軍・徳川吉宗(1684~1751年)の治世で、
全国的に凶作に見舞われ、
大飢饉になったうえ、
コロリ(コレラ)が大流行して多くの死者が出た。
この犠牲者の慰霊を兼ねて
打ち上げられた花火は、
やがて庶民の楽しみとして定着した。
その後、
江戸を代表する花火師の屋号である
「玉屋」と「鍵屋」が技を競うようになった。
両国橋を挟んで上流を玉屋が、
下流を鍵屋が受け持ち、
交互に花火を上げる二大花火師の競演であった。
この時、
花火師を応援する声として
「たまや~」「かぎや~」の掛け声が生まれた。
両国川開きの花火は、
明治維新や第二次世界大戦、
その後、
昭和に入ってから交通渋滞など交通事情の悪化、
隅田川の水質汚濁による臭害などにより
中断された時期もあるが、
1978年(昭和53年)に
現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、
以後毎年7月に開催されている。
ただし、
2020年(令和2年)は
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の
流行拡大の影響を受けて開催の中止が決定された。
江戸時代の
旧暦の5月28日だから
今の暦だと7月上旬って
ところだったんでしょうね。
2020/05/28
日食の戦い
5月28日
木曜日
日食の戦い
紀元前585年5月28日
メディア王国が
リュディアに攻め込むが、
偶然起こった日食を不吉に感じて戦争をやめ、
戦場となったハリス川を国境に定める。
メディア王国
(Media、古代ギリシア語:Mēdía[1] / Μηδία、
古代ペルシア語:Māda、アッカド語:Mādāyaは
古代イランの王国である。
メディア地方は
現在のイラン北西部、
ハマダーン周辺を中心とする地域であり、
前1千年紀には
インド・ヨーロッパ語を話す人々が
居住するようになっていた。
この中から
メディア人と呼ばれるようになる人々が登場する。
メディア人は
当時の西アジアの大国アッシリアの記録で
初めて歴史に登場し、
前612年頃のアッシリアの滅亡の後には
新バビロニア、エジプト、リュディアと共に
古代オリエント世界の大国を形成した。
主として
ヘロドトスなどギリシア人作家の記録によって
メディアの歴史が伝えられているが、
メディア人自身による歴史記録が存在せず、
考古学的調査も不十分であるため、
その実態についてわかっていることは少ない。
前550年に
ハカーマニシュ朝(アケメネス朝)の
クル2世(キュロス2世)によって破られ
その帝国に組み込まれたが、
メディア人の制度・文化は
後のイラン世界に大きな影響を残したと考えられており、地名としてのメディアはその後も使用され続けた。
日食の戦い(にっしょくのたたかい)
ないし
ハリュス川の戦い(はりゅすがわのたたかい)は、
紀元前6世紀前半に
メディア王国とリュディア王国の間で行われた戦い。
勝敗は決せず、
両者は停戦して平和条約を結び、
6年間にわたる戦争を終わらせた。
ヘロドトスの記述を信ずるならば、
この日食は現代の天文計算によって
紀元前585年5月28日に発生したものと特定され
(タレスの日食)、
ひいては戦いの日時も導き出される。
一部の学者は、
その時点で両国の国境付近を流れていたであろう
ハリュス川こそが
戦いの舞台となったものと想定している。
この日食は
発生の前にその日付が特定されていた
最古の例と言うことになろう。
たまには
世界史もと思いまして、
日食に恐れおののいて
戦を止めてしまったと言う変わった戦ですね❗
2020/05/27
小松菜の日
5月27日
水曜日
小松菜の日
堺市で
小松菜を生産するしものファームが
2006年(平成18年)に制定。
「こ(5)まつ(2)な(7)」の語呂合せ。
小松菜奈の日
ではありません😅