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2019/09/10

下水道の日

9月10日
火曜日

下水道の日(2001年までは全国下水道促進デー)

下水道の整備の促進について
人々の理解と協力を呼びかけようと、
1961年(昭和36年)に
建設省(現国土交通省)が制定。

この時期が
立春から数えて220日目にあたる
二百二十日で台風による
水害が発生しやすい時期であるために、
下水道をアピールするのに最適であるとして
この時期が選ばれた。

下水道の日

2019/09/09

自転車屋の生き物歳時記 エンマコオロギ

9月9日
月曜日

自転車屋の生き物歳時記

エンマコオロギ

昨日のぶどう狩りで
エンマコオロギを見ました。

コオロギの季節になっていますが
ぜんぜん涼しくならない😅

エンマコオロギ
(閻魔蟋蟀、学名: Teleogryllus emma)は、
バッタ目(直翅目)・コオロギ上科・コオロギ科に
分類されるコオロギの一種。

日本本土に生息するコオロギ最大種。

成虫の体長は26~32mmほど。

背面は一様に黒褐色、腹面は淡褐色だが、
体側や前翅は赤みを帯びる。

体つきは太短く、
頭部から腹部までほぼ同じ幅で、
これまた短く頑丈な脚がついている。

頭部は大きく、光沢のある半球形で、
口器がわずかに下向きに突き出る。

若干ではあるがオスの方がやや顎が長く、
メスは丸顔である。

触角は細く、体よりも長い。

複眼の周りに黒い模様があり、
その上には眉のように淡褐色の帯が入る。

この模様が
閻魔の憤怒面を思わせることからこの和名がある。

また、
日本の昆虫学者である大町文衛と松浦一郎によって、
学名の種小名にも emma が充てられている。

身近な昆虫の一つである。

メスには長い産卵管があり、
前翅の翅脈は単純に前後に直線的に伸びる。

一方、オスは産卵管がなく、
前翅にやすり状の発音器や共鳴室を備え、
翅脈が複雑な模様をなす。

幼虫は体が小さく、
翅がないこと以外成虫と同じような姿だが、
脱皮の直後はやや胴長になる。

終齢幼虫は成虫によく似るが、
亜終齢になると前胸背後端に翅芽が現れる。 

昼間は草木の茂みや枯れ草、資材などの陰に潜む。

夜になると周辺を徘徊し、灯火にも飛来する。

食性は雑食で、植物の他に小動物の死骸なども食べる。

天敵は鳥類、ニホントカゲ、カエル、カマキリ
(特に地上性のコカマキリ)、寄生蜂などである。

敵が近付いた際は太い後脚で大きく跳躍して逃げるが、
成虫は長い後翅を羽ばたかせて飛翔することもある。

ただし飛翔は跳躍ほど敏捷ではなく、
直線的にゆっくり飛ぶ程度である。

オス成虫は鳴き声を発して他個体との接触を図る。

前翅を立ててこすり合わせ、
「コロコロリー…」とも「キリリリー…」、
「ヒヒヒヒヨヒヨヒヨ…」とも聞こえる鳴き声を出す。

通常の鳴き声は長く伸ばすが、
オス同士が遭遇し争う際は鳴き声が速く、短く切る
「キリリリッ」という声になる。

また、夏の暑い時期には夜しか鳴かないが、
秋が深まり気温が下がると昼に鳴くようになる。

エンマコオロギは
卵→幼虫→成虫という一生をおくる
不完全変態の虫である。

寿命は1年で、
日本の季節変化に合わせたものとなっている。

成虫は8~11月頃に出現する。

交尾はメスが上に乗る形で行い、
受精したメスは長い産卵管を地面に突き立て、
長さ3mmほどのソーセージ形をした卵を
一粒ずつ産卵する。

成虫は冬になると死んでしまうが、
卵はそのまま地中で越冬し、
周囲の水分を吸収しながら胚発生が進む。

卵は翌年の5~6月頃に孵化する。

幼虫は全身黒色で、
胸部と腹部の境界に白い横帯模様がある。

幼虫も成虫と同様に雑食性で、
いろいろなものを食べて成長する。 

脱皮を繰り返して終齢幼虫になると
白い帯が消えて腹側が淡褐色になり、
翅が短いこと以外はほとんど成虫と変わらなくなる。

充分に成長した終齢幼虫は物陰で羽化する。

背中が割れて淡褐色の成虫が現れ、
白く縮んだ翅を伸ばす。

成虫は体が黒くなると再び活動を始める。

成虫の期間は1~2か月ほどで、
この間に繁殖行動を行う。

北海道北部と南西諸島を除く
日本全国に広く分布する(北海道、本州、佐渡島、隠岐島、四国、九州、対馬)。

草原や田畑、人家の周囲などに生息し、個体数も多い。

自転車屋の生き物歳時記  エンマコオロギ

2019/09/09

重陽の節句

9月9日
月曜日

重陽の節句
菊の節句

陽の数である
奇数の極である9が2つ重なることから
重陽と呼ばれ、たいへんめでたい日とされる。

菊の花を飾ったり酒を飲んだりして祝った。

重陽(ちょうよう)は、
五節句の一つで、9月9日のこと。

旧暦では菊が咲く季節であることから
菊の節句とも呼ばれる。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、
陽数の極である9が重なる日であることから
「重陽」と呼ばれる。

奇数の重なる月日は
陽の気が強すぎるため不吉とされ、
それを払う行事として節句が行なわれていたが、
九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、
特に負担の大きい節句と考えられていた。

後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、
祝い事となったものである。

邪気を払い長寿を願って、
菊の花を飾ったり、
菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして
祝ったりしていた。

また前夜、
菊に綿をおいて、露を染ませ、
身体をぬぐうなどの習慣があった。

現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。

重陽の節句