2020/06/11
賤ヶ岳の戦い
6月11日
木曜日
賤ヶ岳の戦い
1583年6月11日
(天正11年4月21日)
柴田勝家が
羽柴秀吉に敗北し越前北ノ庄城に敗走。
3日後に自害。
賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、
天正11年(1583年)4月
近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の
賤ヶ岳付近で起きた
羽柴秀吉と柴田勝家の戦いである。
この戦いは
織田勢力を二分する激しいものとなり、
これに勝利した秀吉は
亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し
天下人への第一歩がひらかれた。
この戦いは
柴田勝家、滝川一益と
羽柴秀吉、丹羽長秀の
織田政権内での主導権争いであると同時に、
信長次男織田信雄と三男織田信孝の対立でもあった。
両者の対立がそのような形をとったことは、
戦国時代の幕府の政争が
将軍の家督争いという形をとってきたことと相似する。
そればかりか、
勝家の場合は備後国鞆ノ浦(広島県福山市)にあって
京都への帰還をもくろんでいた
征夷大将軍足利義昭の擁立さえ試みていた。
この戦いで、
一向宗の本願寺勢力は秀吉方に与力すると申し出ている。
本願寺が加賀の一揆を動員して
秀吉に忠節をつくすと申し入れてきたことに対して、
秀吉はこれを賞賛し、
柴田領の加賀・越前で活躍すれば
加賀を本願寺に返還すると応えている。
とはいえ、
本願寺にそのような力は残っておらず、
実際、勝家が一向宗残党を警戒した様子はない。
この合戦の結果、
多くの織田氏の旧臣が
秀吉に接近、臣属するようになった。
また合戦終了の2日後の
4月25日(6月15日)に秀吉は
中国地方の戦国大名・毛利輝元の重臣・
小早川隆景に書簡を送り、
自軍の勝利に終わったことを報告するとともに、
中立状態にあった毛利氏の自らへの服属を暗に促した。
戦後処理終了後ほどなく、
秀吉は畿内の石山本願寺跡に大坂城の築城を開始し、
同年5月には朝廷から従四位下参議に任命された。
さらに合戦終了後、
秀吉のもとには
徳川家康・上杉景勝・毛利輝元・大友義統など
各地の有力大名が相次いで使者を送り、
戦勝を慶賀し親交を求めたことも
秀吉の畿内における権力掌握を象徴した。
しかし臣従したとはいえ、
丹羽長秀、池田恒興、森長可、蒲生氏郷、
堀秀政、長谷川秀一などの
織田家旧臣が大幅な加増を得ていることも
見逃せない事実である。
2020/06/10
自転車屋の生き物歳時記 アオドウガネ
6月10日
水曜日
自転車屋の生き物歳時記
アオドウガネ
(コガネムシの一種)
5月中旬頃でした。
オカンが言うにはな
プランターの中に
白い芋虫がおるねん❗
それは
コガネムシの幼虫やないかい‼️
案の定
昨日
コガネムシ
(アオドウガネ)を見つけました。
アオドウガネ
(青銅鉦、Anomala albopilosa)は、
甲虫目コガネムシ科の草食昆虫。
体長約17~26mm。
成虫の体型はずんぐりと丸く、
前胸背板輪廓の両端は角張らない。
体色は、
艶が弱いが鮮やかな緑色の金属光沢を示す。
琉球語(沖縄方言)ではクスブンと呼ばれる。
日本では
本州の中部地方以西、四国、九州、南西諸島等に
分布するとされるが、
分布域は北上する傾向にあり、
関東地方でも生息数が増加している。
最近では
在来種であるドウガネブイブイを駆逐し、
関東以南では最も普通に見られる
中型コガネムシになっている。
夜行性で、灯火によく飛来する。
昼間は葉の裏などで休む。
成虫は5~10月にわたって出現、活動する。
沖縄本島では5~8月に成虫が出現する。
メスは夏から秋にかけて土中に産卵し、
幼虫は樹木や草の根、腐葉土を食べて成長し、
翌年春に蛹化、羽化する。
成虫は
各種広葉樹の葉を食害し、
ドウガネブイブイと同じく農作物を食害する
害虫として知られる。
沖縄県では、
テリハクサトベラ、ヤエヤマコクタン
(リュウキュウコクタン)、ヤエヤマアオキ(ノニ)、 ミフクラギ(オキナワキョウチクトウ)、
レイシ、テリハノブドウ等の葉を集団で摂食する。
また、
幼虫は土中でサトウキビの地下部を食害し、
枯死に至らせる。
このため、
サトウキビの主要産地のひとつである
沖縄県宮古島では、
2006年からブラックライトを用いた
誘殺灯を設置して成虫の駆除を行っている。
2010年には設置した誘殺灯が
固定式誘殺灯約500基、
可動式誘殺灯約1700基の合計2200基に及び、 誘殺灯による防除の結果、
生息数に比例する捕獲数が毎年減少していたが、
その後は
破損等により設置台数が減少し、
2017年度頃から発生が増加傾向にある。
自然環境下では植物の葉などを食べるが、
飼育はリンゴやメロン、ブルーベリーなどの果物のほか、カブトムシ用の昆虫ゼリーなどでも行える。
2020/06/10
入梅(にゅうばい)
6月10日
水曜日
入梅(にゅうばい)
入梅(にゅうばい、ついり、つゆいり)は、
梅雨入りの時期に設定された雑節である。
現在の日本では、
太陽黄経が80°の時またはその日である。
新暦(グレゴリオ暦)で6月11日ごろ。
対義語は出梅(しゅつばい、つゆあけ)だが、
日本ではほとんど使われない。
気象上の入梅
本来は「梅雨入り」の漢語表現である。
もちろん、地域と年により日付は異なる。
西関東方言では、
梅雨の季節全体を「入梅」と呼ぶ。
普通にいう
「梅雨入りする」は「入梅に入る」という。
時候の挨拶で用いる「入梅の候」は、宛先の地で梅雨入りが発表されていることが前提となる。
日本では、
貞享暦(1685) のころから暦に
入梅が載るようになった。
その定義は
「芒種後の最初の壬の日」だった。
なお、芒種は太陽黄経75°の日。
「壬(みずのえ)」は五行でいえば水の陽にあたる。
芒種が壬だった場合の扱いは、
芒種当日とするか10日後の次の壬とするかは
混乱があったが、
しだいに芒種当日とするようになった。
すなわち、
芒種当日から9日後までである。
新暦では
およそ6月4日から6月16日までを変動し、
平均すれば6月10日ごろとなる。
出梅は暦には載らなかったが、
「小暑後の最初の壬の日」とされていた。
この入梅と出梅の組み合わせは
中国の『本草綱目』と同じである。
今年は
暦の入梅が本日なのですが
たぶん
暦通りに梅雨入りしそうですね。