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2020/06/24

自転車屋の生き物歳時記 サルボウガイ

6月24日
水曜日

自転車屋の生き物歳時記

サルボウガイ

缶詰の赤貝
回転寿司の赤貝などは
このサルボウガイです。

我が国では
山陰で赤貝と呼ばれ
中海が主な産地だったが
水質の変化で激減していたとの事でした。

最近
中国電力が火力発電で使う石灰を
中海に撒いたところ
サルボウガイが増え始めたとの事ですわ。

クイチガイサルボウ
(またはクイチガイサルボオ、喰違猿頬、学名:Anadara inaequivalvis) はフネガイ科アカガイ属の二枚貝である。

分布域は
インド洋中部のインドやスリランカから
インドネシアにかけてと
西太平洋北部の日本の房総半島から
南部のオーストラリア北部かけて棲息している。

外来種として定着が記録されているのは
地中海、アドリア海北部、黒海、アゾフ海(南西部)である。

フィリピン、日本では養殖がおこなわれている。

黒海地域で最初に確認されたのは、
1983年にブルガリア沿岸においてで、
その後、
船舶のバラスト水にまぎれて
アドリア海に侵入した。

その後、
黒海沿岸での生息域をひろげ、
黒海南部から北西部にあるアゾフ海のケルチ海峡近くの
キリリフカ(ロシア語版)及びフェドトヴァ砂嘴(ロシア語版)まで棲息する。

自転車屋の生き物歳時記  サルボウガイ

2020/06/24

久米川の戦い

6月24日
水曜日

久米川の戦い

1333年6月24日
(元弘3年/正慶2年5月12日)

新田義貞軍が
武蔵国久米川で鎌倉幕府の軍勢を破る。

久米川の戦い(くめがわのたたかい)は、
元弘の乱の戦いの一つで、
鎌倉時代最末期の元弘3年(1333年)5月12日に、武蔵国久米川(現在の東京都東村山市諏訪町)において、桜田貞国率いる鎌倉幕府勢と
新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である。

元弘3年(1333年)5月

新田義貞は
上野国生品明神で鎌倉幕府打倒の兵を挙げた。

新田軍は一族や周辺豪族を集めて兵を増やしつつ、
利根川を越えて武蔵国へ進む。

利根川を越えた時点で
足利高氏(後に尊氏)の嫡子
千寿王(後に足利義詮)が合流。

外様御家人最有力者
足利高氏の嫡男が加わったことにより、
武蔵七党や河越氏ら周辺の御家人も加わり、
新田軍は数万規模に膨れ上がったと言われる。

さらに
新田軍は鎌倉街道沿いに南下し、入間川を渡る。

迎撃に来た
桜田貞国、長崎高重、長崎孫四郎左衛門、
加治二郎左衛門率いる鎌倉幕府軍を、
5月11日に小手指原の戦いで撃破。

幕府軍は
久米川(現在の柳瀬川)で
新田軍の南下を食い止めるべく、
久米川の南岸(現在の東京都東村山市諏訪町)で
迎え出た。

小手指原で勝利した新田軍は、
そのままの勢いで八国山に陣を張り、
ここから指揮をとり麓の幕府軍と対峙した。

現在、この陣の跡地は将軍塚と呼ばれている。

翌日朝、
義貞の軍勢が久米川に布陣する幕府軍に
奇襲を仕掛けたことで戦闘が発生した。

桜田貞国は奇襲に対する備えを講じており、
奇襲は成功しなかった。

幕府軍は
鶴翼の陣を敷いて義貞を挟みこむ戦法を採ったが、
この戦法を義貞は看破し、
戦法にかかったような芝居を見せ、
陣を拡散させたため手薄になった本陣を狙い打ちにした。

これにより
長崎、加治軍は撃破され、桜田貞国は軍勢を纏め、
分倍河原まで退却した。

小手指原で敗れた幕府軍にはもはや勢いはなく、
戦いは終始新田軍優勢に進み、
幕府軍は多摩川の分倍河原
(現在の東京都府中市)にまで撤退した。

久米川の戦い

2020/06/23

親日国の物語 モーリタニア

6月23日
火曜日

親日国の物語

4年前の今日に
上げた投稿ですが
反響が大きかったのでまた上げます。

親日国の物語

東日本大震災が起こった年

西アフリカのある国で
1ヶ月の給料が
7000円ほどの人たちが
日本大使館に
続々とやって来て
彼らにとっては
給料の4分の1ものお金である
1700円ほどを差し出し

私たちは日本の友達!
このお金を
日本の為に使って下さい!と

モーリタニアの人たちだ。

1960年代の事
西アフリカに
海があるのに漁業をしない
モーリタニアと言う国があるとの事で
そこに漁業を伝える目的で

日本から
中村と言う人が単身乗り込み
地道に人々に声をかけ
漁網による漁業の為の人集めをした

モーリタニアは砂漠の国で
ヤギなどを飼い
遊牧をする人たちで
目の前に海があるのに
魚を食べると言う習慣がまったくなかった
魚なんか誰が食べるのだ!と
まったく相手にされなかった。

しかし
貧困に喘いでいたので
給料が貰えると言う事で
漁業を手伝ってくれる人は
少しずつ増えたが
素人なのでうまく行かないし
辞める人が後を絶たず人が続かない。

ある日
中村さんは
砂浜に打ち上げられていた
タイヤを見つけた。

中を見ると
タコがたくさん入っていた。

中村さんは
すぐに閃いた。

これだ!
タコなら
タコ壺があれば素人でも穫れる!

モーリタニアのタコ漁は
大当たりだった。

漁をする人
タコ壺を作る人
ロープやワイヤーを作る人
船を作る人
船を整備する人

貧困だった砂漠の国
モーリタニアが
タコ漁の大ヒットで経済が
一気に回りだした。

モーリタニアの人々は
本当に
中村さんと日本には感謝している。

自分の子供に
ナカムラと名前をつける人も
たくさんいるほどだ。

モーリタニアの
最大の輸出国も日本で
モーリタニアのタコの35%は
日本が買っている。

西アフリカの砂漠の国
モーリタニアは
日本の真の友人だ!

親日国の物語  モーリタニア