2020/07/03
週末立ち飲み 大野酒店
7月3日
金曜日
週末立ち飲み
雨の中
兵庫駅近くの
大野酒店
アサヒスーパードライ小瓶
角ハイボール4杯
ところてん
赤貝の缶詰
チーズ
2020/07/03
自転車屋の生き物歳時記 クサガメ
7月3日
金曜日
自転車屋の生き物歳時記
クサガメ
昨日
夜のウォーキングをしていたら
道路に
何かが這っているので
近づいてみると
えっ‼️クサガメやん‼️
この辺りに池も沼も川もないし
クサガメやから
一般家庭で飼っている物でもないやろ⁉️
どういう事⁉️
クサガメ(草亀・臭亀、Mauremys reevesii)は、
爬虫綱カメ目イシガメ科イシガメ属に分類されるカメ。
別名
リーブスクサガメ、キンセンガメ、ゼニガメ(幼体)。
大韓民国、中華人民共和国
(東部から南東部にかけて、香港)。
日本(北海道南西部、本州、四国、九州、
佐渡島、淡路島、壱岐、隠岐、対馬、五島列島、奄美大島、沖縄島、久米島、諏訪之瀬島など)、台湾に移入。
最大甲長30センチメートル。
オスよりもメスの方が大型になり、
オスは最大甲長19・9センチメートル
(正確な計測値がないが
日本で甲長21センチメートルの発見例もあり)。
日本の個体群は大型になるとされ、
中華人民共和国の個体群は
メスの最大甲長23・6センチメートル、
オスの最大甲長14・6センチメートル。
背甲はやや扁平で、
上から見るとやや細長く角張った楕円形や俵型。
椎甲板と肋甲板に3つずつ
筋状の隆起(キール)があり、
特に椎甲板のキールは顕著。
背甲の色彩は主に褐色、灰褐色、暗褐色、黒。
左右の喉甲板の間と
左右の肛甲板の間に切れこみが入らない。
背甲と腹甲の継ぎ目(橋)や
腹甲の色彩は暗褐色や黒で、
シーム周辺は薄灰褐色や黄褐色、薄黄緑色。
第十二縁甲板は分かれる。
頭部はやや大型か非常に大型で、
大型個体(特にメス)では
頭部が巨大化(巨頭化)する個体もいる。
吻端はやや突出し、
上顎の先端は鉤状に尖ったり凹むことはない。
咬合面は幅広いが、稜や突起はない。
後頭部は細かい鱗で被われる。
頭部の色彩は暗褐色や濃灰褐色、褐色、黒で、
黄色や薄黄緑色の不規則な斑紋や斑点が入る。
若齢個体は背甲のシームが黄色い個体が多く、
別名キンセンガメの由来になっている。
クサガメの若齢個体(亜成体)の甲羅。
3つずつ筋状の隆起(キール)が見られ、
背甲のシームが黄色い。
オスの成体は虹彩も含めた全身が黒化
(メラニスティック)し、斑紋が消失する。
メスも成長に伴い体色が暗くなるが、
斑紋が消失することはまれ。
流れの緩やかな河川、湖、池沼、湿原、
水たまり、水田などに生息する。
昼行性だが、夏季は薄明薄暮性、
夜行性傾向が強くなる個体もいる。
日光浴を行うことを好む。
陸づたいに水場を移動する個体もいる。
食性は雑食。
大型個体は貝類や大型の甲殻類も噛み砕いて食べる。
主に水中で採食を行う。
繁殖形態は卵生。
オスは水中でメスの吻端に
頭部や前肢を擦りよせるような行動で求愛し、
メスが動きを止めオスを受け入れると交尾する。
水辺から離れた地面を掘り、
日本では6~8月に1回に
1~14個の卵を1~3回に分けて産む。
卵は2か月で孵化する。
幼体は夏季から初秋にかけて地表に現れる個体もいるが、多くの幼体は孵化後に地中で越冬し
翌年の春季に地表へ現れる。
日本の個体群に関しては化石の発見例がない、
最も古い文献でも200年前に登場し
江戸時代中期以前には本種に関する確実な記録がない、
江戸時代や明治時代では希少で
西日本や南日本にのみ分布するという
記録があることなどから、
朝鮮半島から人為的に移入されたと推定されている。
台湾の個体群も
中華人民共和国の個体群と遺伝的差異がないため、
人為的に移入されたと考えられている。
日本の19地点、
132個体のミトコンドリアDNAに基づく
分子系統学的解析では、
日本の個体群は3つの系統に分かれ大半を占める系統が
大韓民国の個体群と遺伝的差異がないか、
ほぼないという解析結果が得られた。
千葉県や九州の個体群では
台湾の個体群とほぼ遺伝的差異がない系統が多く、
近年に中華人民共和国から人為的に移入された個体が
多くを占めていると考えられている。
北海道や南西諸島でも後に人為的移入・定着している。
ペットとして飼育されることもあり、
日本にも輸入されている。
日本国内の野生個体および飼育下繁殖個体、
中華人民共和国からの飼育下繁殖個体が流通する。
中華人民共和国産の個体が
「キンセンガメ(金線亀)」として
販売されたこともあった
(背甲のシームが黄色いのは地域に関係のない
個体変異で、中華人民共和国産固有の特徴ではない)。
1990年代以降は
主に中華人民共和国から孵化直後の養殖個体が
「ゼニガメ(銭亀)」の商品名で多く流通しているが、
日本産の個体を元に養殖された可能性もある。
ニホンイシガメとの種間雑種は
関西地方や中国地方の一部では
「ウンキュウ」と呼称され、
種間雑種がこの流通名で販売されることもある。
メスは比較的大型になるため、
大型のケージが用意できない場合は
一般家庭での飼育には向かない。
アクアリウムで飼育される。
幼体は皮膚が弱いため注意が必要。
本種に限らないが
イシガメ科の他種と
種間雑種を形成する可能性があるため、
他種との雑居飼育は薦められない。
2020/07/03
通天閣の日
7月3日
金曜日
通天閣の日
1912年(明治45年)7月3日
大阪市浪速区に通天閣が完成した。
その後、
第二次大戦中に金属回収のため撤去されたが、
1956年(昭和31年)に
現在の通天閣が再建された。
通天閣(つうてんかく)は、
大阪府大阪市浪速区の新世界中心部に建つ展望塔である。
2007年(平成19年)5月15日に、
国の登録有形文化財となった。
公式キャラクターは「ビリケン」。
大阪の観光名所として知られる。
1903年(明治36年)の
第5回内国勧業博覧会誘致において、
東京との激しい招致合戦に勝利、
パリに飛び
パリ万国博の仕組みを詳細に調査して成功に導いた、
当時の大阪商業会議所会頭・土居通夫が
理想的娯楽園を作るために、
この博覧会の跡地に
新世界ルナパーク、
パリのエッフェル塔を真似た通天閣の建設を構想する。
他者の構想を
インパクトがないとして次々と没にした土居は
周囲の猛反対を押し切って、
パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたような
初代通天閣を提案、
1912年(明治45年)7月3日に
ルナパークと共に建設された。
設計は設楽貞雄。
建設費用は約9万7000円で、
当為の入場料は10銭。
300尺(91メートル)という触れ込み
(実際は250尺/約75メートル)で、
その当時東洋一の高さを誇っていた。
藤沢南岳によって命名された通天閣は、
ルナパーク開発会社である
大阪土地建物の社長であった
土居の名前を入れる意図が含まれているとされる。
通天閣は、
ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれており、
人々に親しまれていた。
大阪で2番目(非貨物専用としては最初)の
昇降機が設置され評判となった。
現在の二代目と同じように
塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり
(1920年(大正9年)に導入)、
当時の広告は「ライオン歯磨」であった
(後に阪神電車の広告も加わる)。
通天閣の電灯工事には
当時大阪電灯に勤務していた
松下幸之助(後にパナソニック創業者、当時17歳)が
配線工として参加している。
1938年(昭和13年)
25万円で吉本興業に買収された後、
太平洋戦争中の
1943年(昭和18年)1月16日に
直下にあった映画館・大橋座の火災で
通天閣の脚部が加熱により強度不足となり、
鉄材を軍需資材として
大阪府に「献納」するという名目で
同年2月13日から塔は解体され、
初代通天閣は姿を消した。
なお
終戦後赤錆となった残骸が
明石市の浜辺で見つかっている。