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2020/07/08

自転車屋の生き物歳時記 ヒイラギ

7月8日
水曜日

自転車屋の生き物歳時記

ヒイラギ


須磨海岸で
キスの投げ釣りをすると
この梅雨の時期には
良く
ヒイラギが釣れた。

今は環境がすっかり変わって
まったく見かけませんが、

ヒイラギ(鮗、柊、学名:Nuchequula nuchalis)は、
スズキ目ヒイラギ科に分類される魚の一種。

東アジア温帯域の内湾や汽水域に多い小型魚である。

かつては
セイタカヒイラギ属 Leiognathus に分類されたため、
学名を Leiognathus nuchalis と掲載した文献も多い。

棘・発音・発光・口の伸長など特徴が多く、
西日本各地で多種多様な地方名で呼ばれる。

地域によっては食用にもなる。

成魚は
全長15cmに達するが、10cm前後のものが多い。

体は強く側扁し楕円形に近く、
広葉樹の葉のような形状である。

後頭部が高く突き出て段差ができるので、
同様の分布を示す
オキヒイラギ Equulites rivulatus と区別できる。

体色は青みがかった銀白色だが、
後頭部に黒褐色の斑点がある。

また背鰭の前半部も黒い。

背鰭は8棘条・16軟条、
尻鰭は3棘条・14軟条からなる。

腹鰭の1棘も含め、棘条はどれも鋭く発達している。

体表は粘液が多量に分泌され、
手で触れるとヌルヌルしている。

体の後半部は微小で剥がれやすい鱗に覆われるが、
頭部を含む体の前半部には鱗が無い。

口は比較的小さく唇も薄いが、
前下方に筒のように突き出すことができる。

また、
上下の咽頭歯を擦り合わせ、発音する。

食道に発光バクテリアを共生させ、暗所で発光もする。

本州中部以南の
西日本・朝鮮半島南部・東シナ海西岸
・台湾まで分布する。

なお、
琉球列島では同じヒイラギ科の近縁種が
多く見られるものの、
ヒイラギは沖縄本島だけの記録にとどまり、
オキヒイラギは分布しない。

内湾の砂泥底に生息し、
港などで数十尾ほどの小さな群れを作って
泳ぐ姿が見られる。

また、河口などの汽水域にもよく進入する。

食性は肉食性で、
多毛類や甲殻類など
小型のベントス(底生生物)を捕食する。

採餌の際には口を筒のように伸ばし、
これらの小動物を吸い込む。

産卵期は初夏で、
直径0・6~07mmの分離浮遊卵を産む。

標準和名「ヒイラギ」は
長崎での呼び名にちなむが、
分布域に入る西日本の海沿いの地方では
さまざまな地方名で呼ばれている。

ギチ(東京)、ギラ(千葉)、
ジンダ(ジンダベラとも)、
ネコゴロシ(ネコマタギとも)(静岡)、
ゼンメ(愛知)、ネコナカセ(浜名湖)、
ギンタ(和歌山)、ネラギ(大阪)、
ダイチョオ(兵庫)、ネコクワズ(淡路島)、
エノハ(鳥取)、ギギ、ゲッケ(岡山)、
ギンギン、ギンガー(広島)、
カガミトリ(山口)、ニイラギ(愛媛)、
ニロギ(高知)、トンマ、トンバ(福岡)、
ヒイラギ(長崎)、シイバ・シイノフタ(熊本)、
ネコクワズ(徳島)、ハナタレエバ (宮崎) 、
ネコマタギ、イタイタなど

地引き網・刺し網・釣りなどの沿岸漁業で漁獲される。

群れで行動するので、多数が同時に漁獲されやすい。

粘液で滑るうえに鰭の棘条は鋭いので、
素手で触れると刺さりやすい。

そのため、鮮魚の取り扱いには注意が必要である。

平たい小型魚なので可食部が少なく、
さらに取り扱い時に滑る・刺さるということもあり
嫌う人も多いが、
地方によっては食用にされる。

身質はアジ類に似た白身で、
塩焼き・唐揚げ・干物・吸い物の椀種
・酢の物・煮付けなどに利用される。

骨は堅いが、酢に数時間ほど浸すと軟らかくなる。

自転車屋の生き物歳時記  ヒイラギ

2020/07/08

エコバッグ

7月8日
水曜日

エコバッグ

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2020/07/08

黒船来航

7月8日
水曜日

黒船来航

1853年7月8日
(嘉永6年6月3日)

マシュー・ペリー率いる
アメリカ海軍所属の
東インド艦隊艦船(黒船)4隻が、
江戸湾浦賀湾に来航。

黒船来航(くろふねらいこう)とは、
嘉永6年(1853年)に、
代将マシュー・ペリーが率いる
アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の
蒸気船2隻を含む艦船4隻が、
日本に来航した事件。

艦隊は
江戸湾入り口の浦賀
(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊し、
一部は測量と称して江戸湾奥深くまで侵入した。

結果、
幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、
そこで
アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、
翌年の日米和親条約締結に至った。

日本ではおもに、
この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。

黒船来航