2020/07/30
姉川の戦い
7月30日
木曜日
姉川の戦い
1570年7月30日(元亀元年6月28日)
織田信長・徳川家康連合軍が
浅井長政・朝倉義景連合軍を破る。
姉川の戦い(あねがわのたたかい)は、
戦国時代の元亀元年6月28日
(1570年7月30日)に
近江浅井郡姉川河原
(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で
行われた合戦である。
「姉川の戦い」という呼称は
元々は徳川氏の呼び方であり、
布陣した土地名から
織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、
朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。
姉川の合戦における浅井家の被害は甚大で、
長政が信頼していたと言われている
重臣遠藤直経や長政の実弟浅井政之をはじめ、
浅井政澄、弓削家澄、今村氏直ら
浅井家で中心的役割を果たしていた武将が戦死した。
朝倉氏では
真柄直隆、真柄直澄、真柄隆基らが討死した。
両軍は戦場からの撤退戦で多くの戦死者を出した。
一方、
初期戦闘で苦戦した織田方では
坂井政尚の嫡子である尚恒らが戦死している。
横山城は降伏、信長は木下秀吉を城主にした。
この戦いには敗れたが
この時点では浅井・朝倉連合軍には
まだ余力は残っており、
近江、越前周辺では比叡山の僧兵衆や
石山本願寺の一向一揆と手を結び、
湖西の志賀郡などで攻防戦が繰り返された(志賀の陣)。
これらの戦いでは
織田方の被害も軽微なものとはいえず、
信長の実弟織田信治をはじめ
森可成、坂井政尚などの諸将を失った。
信長は
浅井・朝倉を支持する比叡山を焼き討ちするなど、
周辺敵勢力の掃討に打って出た。
また、
軍事力だけでは攻略は困難と判断した信長は
諜略によって浅井家の内部分裂を謀った。
その代表例が
姉川の合戦で最も武功をあげた磯野員昌の離間である。
姉川の合戦により
領国が南北に分断されてしまっていたため
犬上郡の佐和山城を守備する
磯野員昌らは孤立してしまい
物資の補給すらままならない状態であった。
そこに目をつけた秀吉が
浅井家家中に員昌内通の風説を流し、
長政らに員昌に対する疑念をもたせることに成功、
長政は再三にわたる員昌からの物資補給の要請を
すべて拒絶し、
兵糧が残り少なくなった員昌は
ついに織田方に投降し
浅井滅亡の流れを決定付けることとなった。
次第に弱体化していった
浅井・朝倉両氏は大局的な戦略に方向転換し
甲斐の武田信玄や
本願寺顕如らと組み
信長包囲網を形成していく事になる。
2020/07/29
自転車屋の生き物歳時記 サワガニ
7月29日
水曜日
自転車屋の生き物歳時記
(いえしま自然体験センター編)
サワガニ
これも
自然体験センターの側溝でたくさん見ました。
サワガニ(沢蟹)Geothelphusa dehaani は、
エビ目(十脚目)・カニ下目・サワガニ科に
分類されるカニの一種。
日本固有種で、
一生を淡水域で過ごす純淡水性のカニである。
学名の種名"dehaani"は、
日本の甲殻類分類に功績があった
オランダの動物学者ウィレム・デ・ハーンに対する
献名となっている。
日本固有種で、
青森県からトカラ列島(中之島)までの
分布とされている。
本土周辺の島嶼では、
佐渡島、男女群島、壱岐諸島、種子島、隠岐諸島、
五島列島、屋久島なども生息が報告されている。
稚ガニとして孵化する
(海流に乗って分布を拡大することができる
プランクトンとしての幼生期間を持たない)ことから
長距離の移動能力に欠けるため、
地域集団毎に遺伝子レベルでの分化が認められる。
また、
21世紀初頭の時点では移入種と見られる個体が
北海道にも分布するとの情報が
インターネット上に散見されるが、
信頼のおける専門家
(博物館・大学・水産研究所・学会など)による
野生個体の確認は一切報告されていない。
国立環境研究所が
以前行った市民調査(既に終了)による結果が
裏付けのないままネット公開され、
ウィキペディアを通じて拡散したことが原因と見られ、
サワガニを見たことのない
北海道民が川に広く分布するモクズガニを
サワガニと誤認し、
長年報告し続けてきたこと
(北海道全土に分布することになっている)
による可能性が少ない。
甲幅20~30mm、脚を含めた幅は50~70mmほど。
体色は甲が黒褐色・脚が朱色のものが多いが、
青白いもの
(地方によっては「シミズガニ」と呼ばれる)、
紫がかったものなども見られ、
よく見られる体色は地域個体群によって異なる。
甲羅には毛や突起などはなく、滑らかである。
オスは右の鋏脚が左よりも大きくなるが、
左のほうが大きい個体もいる。
川の上流域から中流域にかけて生息する。
和名どおり水がきれいな渓流(沢)・小川に多いので、
水質階級I(綺麗な水)の指標生物ともなっている。
日中は石の下などに潜み、夜になると動きだすが、
雨の日などは日中でも行動する。
また、雨の日には川から離れて出歩き、
川近くの森林や路上にいることもある。
活動期は春から秋までで、
冬は川の近くの岩陰などで冬眠する。
食性は雑食性で、
藻類や水生昆虫、陸生昆虫類、カタツムリ、ミミズなど
何でも食べる。
一方、
天敵はヒキガエル、アカショウビン、カワセミ、サギ類、イノシシ、イタチなどがいる。
春から初夏にかけて交尾を行ったあと、
メスは直径2mmほどの卵を数十個産卵し、
腹脚に抱えて保護する。
卵は他のカニに比べると非常に大粒で、産卵数が少ない。
幼生は卵の中で変態し、
孵化する際には既にカニの姿となっている。
稚ガニもしばらくは母ガニの腹部で保護されて過ごす。
同じく川に生息する
モクズガニやアカテガニなどは
幼生を海に放さないと成長できないが、
サワガニは一生を通じて海と無縁に生活する。
寿命は数年~10年程とされる。
孵化時の体色は全て淡黄褐色で
成長に伴い体色が変化していく。
また、
体色変異は照度、餌、底質の色などの
生息環境の要因左右されるとされているが
十分に解明されていない。
1989年(平成元年)に
鹿児島県で調査を行った鈴木廣志、津田英治らの
報告によれば、14mmまでの個体はほぼ茶色型で、
二次性徴が発現する時期の甲幅が
14mm以上になると青色型もしくは
赤色型の体色を呈するようになることが明らかにされた。
また、
鹿児島県内には「赤色型」「茶色型」「青色型」の
個体が生息しているが、
「赤色型」「青色型」分布の境界は、
約6300年前に発生した幸屋火砕流に起因する
堆積物の分布北限とほぼ一致するとしている。
タンガネ(長崎県、「田蟹」の意味)、
イデンコガニ(徳島県つるぎ町、
「いでんこ」とは排水溝の意味)、
和歌山県ではヒメガニという。
これは赤い体色によるものと見られる。
丸ごと唐揚げや佃煮にして食用にされる。
和食の皿の彩りや酒肴などに用いられる。
養殖もされており、
食料品店などでもしばしば目にすることができる。
危険な寄生虫の中間宿主となっているので、
食べる際にはよく火を通さなければならない。
他に、子供にとってはとても身近で扱いやすいペットとなる。純淡水性で雑食性なので、低水温ときれいな水質を保つことができれば飼育も比較的簡単にできる。その場合えさはミミズやキャベツなどを与える。そして水槽には砂を入れ、草も植える。飼育する場合には縄張りに気をつけることが重要である。
その他の利用方法としては指標生物などが挙げられる。
2020/07/29
日米修好通商条約
7月29日
水曜日
日米修好通商条約
1858年7月29日
(安政5年6月19日)
日米修好通商条約締結。
日米修好通商条約
(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく、
英: Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan)は、
安政5年6月19日(1858年7月29日)に
日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約である。
安政五カ国条約の一つ。
江戸幕府が
日本を代表する政府として調印した条約であり、
条約批准書原本には「源家茂」として
当時の14代将軍徳川家茂の署名と
銀印「経文緯武」が押印なされ、
安政7年4月3日(1860年5月22日)に
ワシントンで同批准書が交換された。
欧語では
アメリカ全権タウンゼント・ハリスの名を冠して、
ハリス条約(Harris Treaty)とも通称される。
アメリカ側に領事裁判権を認め、
日本に関税自主権がなかったことなどから、
日本側に不利であり、一般に不平等条約といわれる。
しかし
同条約の付則第七則で定められた関税率は、
漁具、建材、食料などは5%の低率関税であったが、
それ以外は20%であり、
酒類は35%の高関税であった。