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2019/12/21

文治の勅許

12月21日
土曜日

文治の勅許
(ぶんじのちょっきょ)

1185年12月21日
(文治元年11月28日) 文治の勅許。

朝廷が
源頼朝に対し
諸国への守護・地頭の設置・任免を許可。

文治の勅許(ぶんじのちょっきょ)は、
北条時政による奏請に基づき、
朝廷より源頼朝に対し与えられた、
諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した
勅許のことである。

近年では
源頼朝は
この時点で政権を掌握していると見られ

鎌倉幕府の成立は
1185年であるとされていますね❗

文治の勅許

2019/12/21

県工M32高1組 忘年会

12月20日
金曜日

県工M32高1組忘年会
(高校の同級生)

銀だこ大衆居酒屋

高校の同級生と忘年会です。

年末と言う事で
皆さんお忙しく集まりはいまいち😅

5名と少人数になりましたが
高校の同級生は最高‼️

来年もまた一緒に飲みましょう‼️

県工M32高1組  忘年会

2019/12/20

果ての二十日

12月20日
金曜日

果ての二十日

身を慎み災いを避ける忌み日。

由来については諸説あり、
近畿地方では罪人の処刑を
この日に行っていたからと言われる。

また、
山の神に深く関わる忌み日とされ、
この日に山に入ることが忌まれる。

1年の終わりの月である
12月を、「果ての月」という。

果ての二十日とは
12月20日のことである。

歳暮の挨拶、大掃除や正月用意と、
忙しさの極まる時期であるが、
この日は、
一切の仕事をやめて外出を避け、
静かに過ごす日であると伝えられている。

東海道から来た人が京の都に入る時、
その入り口となっていた
粟田口(あわたぐち、左京区)は、
江戸時代には刑場が設けられていた。

罪人は都の中を引き回された後、
この粟田刑場で果ての二十日に首を斬られていたという。

その命を忌み慎むという意味から、
この日の過ごし方が守られてきた。

罪人は首を斬られる前に
一つだけ最後の願いが聞き入れられた。

町衆はそれを恐れ、
家族が目を付けられないように、
特に女の子の外出は控えられていたという話もある。

現在の粟田口周辺は、
いくつかの地名として
その名残りをとどめている程度で、
実際の面影はなにもない。

一方、奈良県の山中には、
果ての二十日に「一本足」という妖怪が出没し、
一年に一度、
この日だけは人間の命をとるという伝説が残っている。

現在も西日本では、
12月20日に山仕事へ出かけることを避けるという
風習を受け継いでいる地域がある。

京都と奈良山中の習俗との間に
関連性はないようであるが、
一年の精算をする日でもある大晦日を間近にひかえ、
身を慎み、災いを避けるべき忌み日があることは、
とても意味深く感じられはしないだろうか。

関西地方のみで
忌み嫌われる日なんや⁉️

果ての二十日