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2020/01/10

蛭子(ひるこ)

1月10日
金曜日
十日戎(とおかえびす)

蛭子(ひるこ)

今日は十日戎ですが
えびすと言う漢字はたくさんあります。

私がいつも行く
兵庫の柳原えびすは
蛭子(ひるこ)と書きます。

ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、
日本神話に登場する神。蛭児とも。

『古事記』において国産みの際、
イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)
との間に生まれた最初の神。

しかし、
子作りの際に女神であるイザナミから
先に男神のイザナギに声をかけた事が原因で
不具の子に生まれたため、
葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。

次に生まれたアハシマと共に、
二神の子の数には入れないと記されている。

棄てられた理由について
『古事記』ではイザナギ・イザナミ二神の言葉として
「わが生める子良くあらず」とあるのみで、
どういった子であったかは不明。

後世の解釈では、
水蛭子とあることから水蛭のように
手足が異形であったのではないかという推測を生んだ。

あるいは、
胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある。

『日本書紀』では
三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、
必ずしも最初に生まれる神ではない。

書紀では、
イザナミがイザナギに声をかけ、
最初に淡路洲(淡路島)、次に蛭児を生んだが、
蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、
天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した、とする。

中世以降に起こる蛭子伝説は
主にこの日本書紀の説をもとにしている。

始祖となった男女二柱の神の最初の子が
生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。

特に東南アジアを中心とする
洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。

流された蛭子神が流れ着いたという
伝説は日本各地に残っている。

『源平盛衰記』では、
摂津国に流れ着いて海を領する神となって
夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、
と記している。

日本沿岸の地域では、
漂着物をえびす神として信仰するところが多い。

ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を
同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、
それ以前に遡るような古伝承ではないが、
古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、
蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。

現在、
ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、
和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで
祀られているが、

恵比寿を祭神とする神社には
恵比寿=事代主とするところも多い。

平安期の歌人大江朝綱は、
「伊井諾尊」という題で、
「たらちねはいかにあはれと思ふらん
三年に成りぬ足たたずして」と詠み、
神話では触れていない不具の子に対する
親神の感情を付加し、この憐憫の情は、
王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、
異形が神の子の印(聖痕)とする
のちの伝説や伝承に引き継がれた。

海のかなたから流れ着いた子が神であり、
いずれ福をもたらすという
蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁である
エビス(夷/恵比寿など)と結びつき、
ヒルコとエビスの混同につながったとされる。

また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、
尊い「日の御子」であるがゆえに流された、
とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、
こちらでは日の御子を守り仕えたのが
エビスであるとする。

不具の子にまつわる類似の神話は
世界各地に見られるとされるが、
神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて
伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。

蛭子で画像検索すると
この人ばっかり出て来ますが😅

蛭子(ひるこ)

2020/01/09

自転車屋の生き物歳時記 ハクセキレイ

1月9日
木曜日
宵戎(よいえびす)

自転車屋の生き物歳時記

ハクセキレイ

この冬も
年末辺りから
オイラの大好きな鳥
ハクセキレイがやって来て
歩道をチョコチョコと走り回っている。

こいつを見ていると癒される。

ハクセキレイ
(白鶺鴒、学名:Motacilla alba lugens)は
セキレイ科に分類される鳥類。

世界中に広く分布する
タイリクハクセキレイ(学名 Motacilla alba)の一亜種。

英名では、
タイリクハクセキレイ各亜種を総称して
"White Wagtail" と呼ばれるとともに、
特にハクセキレイ (M. a. lugens) を指す際には
"Japanese (Kamchatka) Pied Wagtail", "Black-backed Wagtail" と呼ばれる。

ロシア沿海地方・ハバロフスク地方の沿岸部、
カムチャツカ半島、千島列島、樺太、
日本列島(北海道、本州)および中国東北部に分布する
留鳥または漂鳥。

冬場の積雪地でも観察される。

日本では、
かつては北海道や東北地方など
北部でのみ繁殖が観察されていたが、
20世紀後半より繁殖地を
関東・中部などへと拡げ、
現在は東日本では普通種になっている。

また、
西日本ではタイリクハクセキレイに容姿が似る
ホオジロハクセキレイ(学名 Motacilla alba leucopsis)も観察される。

体長21cm ほどで、ムクドリよりやや小さめで細身。

他のタイリクハクセキレイ亜種より大型になる。

頭から肩、背にかけて、
雄の夏羽では黒色、雄の冬羽と雌では灰色。

腹部は白色で、胸部に黒くなるのが特徴的である。

胸部の黒の面積は雄の方が雌より大きい。

顔は白く、黒い過眼線が入る。

セグロセキレイと類似するが、
本種は眼下部が白いことで判別できる。

嘴と脚は黒。

幼鳥は、頭~背中が灰色、顔はやや黄色がかっており、
腹は白、胸部の黒い部分は薄くまだら。

尾羽は長めで、
セグロセキレイやキセキレイと同様、
尾羽を上下に振る姿が特徴的である。

主に水辺に棲むが、川だけでなく用水路、
水辺が近くにある場所ならば
畑や市街地などでもよく観察される。

河川の下流域など比較的低地を好む傾向があり、
セグロセキレイやキセキレイとは、
夏場は概ね棲み分けている。

冬場は単独で、夏場は番いで縄張り分散する。

縄張り意識が強く、特に冬場は同種のほか、
セグロセキレイ、キセキレイと
生活圏が競合する場合があり、
その際には追いかけ回して縄張り争いをする様子も
よく観察される。

食性は雑食で、
一旦高いところに留まって採食に適した場所を探し、
水辺や畑などに降りて歩きながら
水中や岩陰、土中などに潜む
昆虫類やクモ、ミミズなどを主に捕えて食べる。

ただし本種は
都市部などの乾燥した環境にも適応しており、
分布域の広がった近年では、
コンビニの駐車場や駅のホームなどで、
パン屑などの人間のこぼした食べ物を食べる様子も
観察されている。

また郊外の工場などで小型の蛾を捕食することもある。

壁面に留まっている蛾をホバリングして捕まえる。

寒冷地では年1回、暖地では年2回繁殖する。

地上で羽を広げて求愛ダンスを行う。

地上の窪みや人家の隙間などに、
枯れ草や植物の根を使って皿状の巣を作り、
日本では5~7月に1腹4~5個の卵を産む。

抱卵期間は12~15日で、主に雌が抱卵する。

雛は13~16日で巣立ちする。

巣立ち後も親鳥と行動を共にし、
3~4羽程度の集団で行動することもある。

足を交互に出して素早く歩く。

人間に対する警戒心は低く、
人間のそばにも比較的近く
(2~3m程度の距離)まで寄ってくる。  

歩行者を振り返りながら斜めに歩く。

夜は近隣の森などにねぐらを取るが、
市街地では建築物などに取る様子も観察される。

秋になると照明近くの街路樹に集団を作ることがある。

地鳴きは「チュチン、チュチン」、
飛翔時は「チチッ、チチチッ」と鳴く。

巣立ち後の幼鳥は独り言或いは
つぶやきともとれる長めの鳴き方をすることがある。

ごく希であるが
成鳥が縄張宣伝で長め(3秒程度)の
鳴き方をすることがあり、とても美しい声である。

波を描くように飛翔する。

自転車屋の生き物歳時記  ハクセキレイ

2020/01/08

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

1月8日
水曜日

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

645年1月8日
(貞観18年12月5日)

唐の仏僧の玄奘三蔵が
インドなどを巡る16年の旅から帰国。

玄奘(げんじょう、602年 - 664年3月7日)は、
唐代の中国の訳経僧。

玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(チンイ)。

諡は大遍覚で、尊称は法師、三蔵など。

鳩摩羅什と共に二大訳聖、
あるいは真諦と不空金剛を含めて
四大訳経家とも呼ばれる。

629年に陸路でインドに向かい、
巡礼や仏教研究を行って645年に
経典657部や仏像などを持って帰還。

以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、
法相宗の開祖となった。

また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、
これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった。

三蔵法師‼️
西遊記ですな‼️

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)