2020/09/25
週末立ち飲み 木下酒店
9月25日
金曜日
週末立ち飲み
木下酒店
スーパードライ小瓶
黒糖焼酎れんと水割4杯
えびシューマイ
冷奴
ソフトサラダせんべい
2020/09/25
自転車屋の生き物歳時記 ホシホウジャク
9月25日
金曜日
自転車屋の生き物歳時記
ホシホウジャク
昨日の
オオスカシバの投稿で
フォルムや飛び方や雰囲気が
かなり似ているけど
ちょっと違う
ホシホウジャクが
一部で話題になってたので
ホシホウジャク。
ホシホウジャク
(星蜂雀、学名: Macroglossum pyrrhosticta)は、
チョウ目スズメガ科の昆虫。
ガの一種。
成虫は、
全体にこげ茶色だが、後翅のみ黄褐色で、
飛んでいるとよく目立つ。
翅を閉じて静止すると、
茶色のグラデーションが鮮やかに見える。
ハチに擬態しているとされる。
近縁種に
クロホウジャク(Macroglossum saga)がいるが、
本種のほうが一回り小さい。
初夏から晩秋まで発生を繰り返し、
市街地でもよく見られる。
成虫は、
アベリア、コスモス、ラベンダーなどに訪花し、
ホバリングしながら、花から花へ蜜を吸って回る。
飛行時は脚をたたむ。
幼虫の食草はヘクソカズラ(アカネ科)。
日本(北海道、本州、四国、九州、種子島、屋久島、
トカラ列島、奄美大島、沖縄本島、久米島、久場島、
屋嘉比島、宮古島、石垣島、西表島、与那国島、
南大東島、北大東島)、朝鮮半島、中国、台湾、
インド北部、スンダ列島、太平洋地域。
2020/09/25
藤ノ木古墳記念日
9月25日
金曜日
藤ノ木古墳記念日
1985年(昭和60年)9月25日
奈良県斑鳩町の
藤ノ木古墳の石室等が発掘されたことに由来。
藤ノ木古墳(ふじのきこふん)は
奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳。
国の史跡に指定されている。
「藤ノ木」の名称は所在地の字名に由来するが、
法隆寺関係の古文書・古記録によれば、
かつては「ミササキ」「陵山」(みささぎやま)
などと呼ばれていた。
玄室内から大量に出土した
土師器、須恵器の年代から古墳時代後期、
6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。
この時期に
畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。
古墳は
法隆寺西院伽藍の西方約350メートルに位置する。
現在は周辺が公園として整備され、
説明板なども多数設置されており、
法隆寺周辺の観光スポットとなっている。
また、
古墳から南へ200メートルほど行くと、
ガイダンス施設(斑鳩文化財センター)があり、
主な出土品のレプリカが展示されている。
奈良県立橿原考古学研究所では
出土した馬具を3Dプリンターで復元し
一部は一般でも触れるようにしている。
発掘調査結果から、
径約50メートル、高さ約9メートルの
円墳であるとされている。
ただし、
現状は周りの水田や建物により
少しずつ削り取られていて、
高さ約7・6メートル、最大径約40メートルである。
大和での埴輪の設置は
6世紀前半で終わったと考えられていたが、
墳丘裾には円筒埴輪が並べられていて、
従来の見解を訂正することになった。
副葬品が
金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるから
この当時の支配階級の一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではないが、
貴金属を用いたきらびやかな副葬品が多いことから
強大な権力を持った人物であったと推測されている。
南側の人物は、
左手首にガラス製ナツメ玉10個、
両足に濃い青色のガラス玉各9個を装身具にしていた。
前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)や
白石太一郎(奈良大学教授)は、
2人の被葬者が『日本書紀』が記す
587年6月の暗殺時期と一致することなどから、
聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された
穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる
宅部皇子の可能性が高いと論じている。
一方、
井沢元彦や高田良信(法隆寺長老)は
副葬品や埋葬の様子から
「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に
同母弟でこれもまた蘇我馬子が東漢駒に暗殺させた
第32代崇峻天皇が合葬された」との説を主張した。
骨の残りが悪く骨盤が残っていない南側被葬者について、1988年から90年にかけて
内視鏡による石棺内調査や発掘人骨の検査・分析を
担当した、骨考古学者の片山一道・京都大学名誉教授は、僅かに残った「距骨」(足首の骨)と
「踵骨(しょうこつ)」(かかとの骨)に基づいて、
1993年『第2次・第3次調査報告書』で
被葬者について1人は男性、南側の1人も
男性の確率が極めて高いと指摘した。
考古学者の間壁葭子・神戸女子大学名誉教授は、
古墳の規模と合葬の関係で、
男性2人同時埋葬は被葬者にとり誇るべきものではなく、よほどの緊急のことが起きたのではと、
疑問を述べている。
考古学者で古墳時代の玉類の研究者の
玉城一枝・奈良芸術短期大学講師は
2009年手首や両足の装身具から、
人物埴輪の装飾と
『古事記』と『日本書紀』の記述を手掛かりに、
手玉や足玉は「これらは女性の装身具」だと
「藤ノ木古墳男女合葬説」を唱えた。
それに対し片山教授は
「形質人類学的に考えれば、
9割以上の確率で南側被葬者は男」と反論した。