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2020/02/03

節分

2月3日
月曜日

節分

節分(せつぶん、せちぶん)は、
雑節の一つで、各季節の始まりの日
(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。

節分とは「季節を分ける」ことも意味している。

江戸時代以降は
特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。

太陰太陽暦(旧暦)では、
立春に最も近い新月を元日とし、
月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした
元日(旧正月)と、
太陽黄経を基準(節切)にした立春は、
ともに新年ととらえられていた。

したがって、
旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、
ともに年越しの日と意識されていたことになる。

今も節分を
「年越し」「年取り
(数え年とは、生まれた日を1歳とし、
誕生日に関係なく新年に皆が年を取る数え方)」
と呼ぶ地域があるのはこの名残である。 

一般的には
「鬼は外、福は内」と声を出しながら
福豆(煎り大豆)を撒いて、
年齢の数だけ(もしくは1つ多く)
豆を食べる厄除けを行う。

また、邪気除けの柊鰯などを飾る。

これらは、
地方や神社などによって異なってくる。

節分

2020/02/02

2月のあぐろの湯

2月2日
日曜日

2月のあぐろの湯

今月は
散髪もして
温泉入って
そして
生ビールと
フルコースでした😄

2月のあぐろの湯

2020/02/02

三木合戦

2月2日
日曜日

三木合戦

1580年2月2日
(天正8年1月17日)

三木合戦(三木の干殺し)が終結。

羽柴秀吉が三木城を陥落させる。

三木合戦(みきかっせん)は、
天正6年3月29日(1578年5月5日)から
天正8年1月17日(1580年2月2日) にかけて行われた織田氏と別所氏の合戦。

織田家の武将羽柴秀吉が行った
播州征伐のうちの1つで、
別所氏は播磨三木城(兵庫県三木市)に篭城した。

この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、
三木の干殺し
(みきのひごろし、-ほしごろし)と呼ばれる。

この戦で
秀吉の軍師
竹中半兵衛重治が病死しましたね。

三木に
竹中半兵衛重治の墓所がありますよ。

三木合戦