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2020/02/13

苗字制定記念日/名字の日

2月13日
木曜日

苗字制定記念日/名字の日

1875年(明治8年)2月13日

明治政府が
平民苗字必称義務令という太政官布告を出し、
すべての国民に姓を名乗ることを
義務づけたことに由来。

たかだか
150年ほど前には
名字のない国民の方が大多数やった訳です。

因みに
ウチは武家の端くれだったので
少なくとも
室町時代以前から名字があったみたいです。

苗字制定記念日/名字の日

2020/02/12

赤間神宮

2月12日
水曜日

赤間神宮

組合の総会旅行で行った所を紹介しています。

赤間神宮(あかまじんぐう)は、
山口県下関市にある神社である。

旧社格は官幣大社。

壇ノ浦の戦いにおいて
幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。

江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、
仏式により祀られていた。

平家一門を祀る塚があることでも有名であり、
前身の阿弥陀寺は
『耳なし芳一』の舞台であったが、
廃仏毀釈により神社となり現在に至る。

貞観元年(859年)に阿弥陀寺として開闢。

文治元年(1185年)の
壇ノ浦の戦いで入水した
安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、
赤間関(下関)に
建久2年(1191年)、
勅命により御影堂が建立され、
建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた。

以後、勅願寺として崇敬を受ける。

明治の神仏分離により
阿弥陀寺は廃され、
神社となって「天皇社」と改称した。

また、
歴代天皇陵の治定の終了後、
安徳天皇陵は多くの伝承地の中から
この安徳天皇社の境内が
明治22年(1889年)7月25日、
「擬陵」として公式に治定された。

天皇社は
明治8年(1875年)10月7日、
赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。

昭和15年(1940年)8月1日、
官幣大社に昇格し赤間神宮に改称した。

第二次大戦により社殿を焼失し、
昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工した。

昭和60年(1985年)、
源平八百年を期に全国平家会が設立され、
石川県輪島市にある
平時忠の子孫「時国家」に御分霊が親授された。

その際に邸内社が建立され
「能登安徳天皇社」の称号が授与された。

赤間神宮

2020/02/12

門司港

2月12日
水曜日

門司港

組合の総会旅行で行った所を紹介しています。

門司港(もじこう)は
福岡県北九州市門司区の門司港駅を中心とした地域。

門司区の中心市街地である。

北九州市門司区(企救半島)北部の関門海峡に面する、
北九州港を構成する地区を中心とした市街地の名称。

観光地としても有名で、
海沿いの倉庫群や歴史的建造物など、
古い港町の雰囲気を感じることができる地区である。

地区の名称は港としての
「門司港」がある地域であることと、
地区の交通拠点である「門司港駅」に由来する。

1889年(明治22年)11月に
門司港が国の特別輸出港
(米・麦・麦粉・石炭・硫黄に限定した輸出港)に
指定されて以降、
金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、
外国航路の拠点および貿易港として発展した。

また、
関門海峡を横断するトンネルや橋はまだなく
関門連絡船の発着地であったため、
九州の玄関口としての役割を果たしていた。

しかし、
1942年(昭和17年)7月に
関門鉄道トンネルが開通し、
門司港駅を経由せずに
本州との行き来が可能になったことや、
戦後中国などの大陸貿易が途絶えたことなどにより、
急速にその地位を失っていった。

1988年に
門司港駅舎が国の重要文化財に指定されたことを契機に、地区内に残る歴史的建造物を生かした
観光地としての整備が行われ、
門司港レトロとして
1995年(平成7年)3月にグランドオープンし、
現在は年間200万人以上の観光客を集めている。

門司港地区の範囲にはっきりとした定義はないが、
「門司港レトロ観光まちづくりプラン」に
範囲が示されている。

画像は
門司港駅前で撮影した物です。

門司港