2020/11/18
土木の日
11月18日
水曜日
土木の日
日本工学会の前身である工学会が
1879年(明治12年)11月18日に設立されたことと、
「土木」の「土」が十一 (11) に、
「木」が十八 (18) にそれぞれ分解できることに由来。
土木学会、日本土木工業協会などが
建設省(現国土交通省)の支援で
1987年(昭和62年)に制定。
他に
いい家の日
いいイヤホン・ヘッドホンの日
熊の日 など
2020/11/17
鬼滅の刃の予期せぬ効果
11月17日
火曜日
鬼滅の刃の予期せぬ効果
鬼滅の刃人気で
竹輪が売れているらしい。
禰豆子の真似をして
子供が咥えるからだそうですわ。
練り物業界は
予期せぬヒットやね❗
世の中
何が売れるか分からんわ😅
2020/11/17
水島の戦い
11月17日
火曜日
水島の戦い
1183年11月17日
(寿永2年閏10月1日)
治承・寿永の乱: 水島の戦い。
水島の戦い(みずしまのたたかい)は、
平安時代末期における
治承・寿永の乱の戦闘の一つである。
備中国水島(現在の倉敷市玉島)において
源義仲軍と平氏軍との間で行われた。
当時、平氏軍の拠点は讃岐の屋島にあった。
平氏を追討するため、
寿永2年(1183年)9月20日に
源義仲軍は都を出発して屋島方面へ進軍していったが、
閏10月1日、四国へ渡海する前に、
水島付近で平氏軍に敗れた。
義仲軍を率いていたのは、
義仲の同族である武将
足利義清・足利義長兄弟と海野幸広(海野氏)である(『源平盛衰記』)。
平氏は、
軍船同士をつなぎ合わせ、
船上に板を渡すことにより、陣を構築した。
源平両軍の船舶が接近し、
互いに刀を鞘から抜いて、
今にも白兵戦を始めようかという時、
平氏の射手が義仲軍へ矢を浴びせかけて戦闘が開始した。
平氏軍は船によく装備された馬を同乗させており、
その軍馬とともに海岸まで泳いで上陸した。
最終的に平氏軍は勝利し、
義仲軍は
足利義清・海野幸広の両大将や足利義長(義清の弟)、
高梨高信、仁科盛家といった諸将を失い壊滅、
京都へ敗走することになった。
この勝利により平氏軍は勢力を回復し、
再入京を企て摂津福原まで戻り、
一ノ谷の戦いを迎えることとなる。
なお、
この戦いの最中に95%ほど欠けた
金環食が起こったことが、
「源平盛衰記」等の資料によって確認されている(参照:「日食#予報の歴史」「日食の一覧#12世紀」)。
当時、
平氏は公家として
暦を作成する仕事を行っていたことから、
平氏は日食が起こることを予測しており、
それを戦闘に利用したとの説がある。