2021/02/14
劇場映画 花束みたいな恋をした
2月14日
日曜日
聖バレンタインデー
OSシネマズ神戸ハーバーランド
劇場映画
花束みたいな恋をした
キャスト
菅田将暉
有村架純
細田佳央太
清原果耶
オダギリジョー
押井 守
オーサムシィクラブ
戸田恵子
岩松 了
小林 薫 ほか
2021/02/14
モジャカレー ねぎビーフカレー辛口
2月14日
日曜日
聖バレンタインデー
JR神戸駅構内
モジャカレー
ねぎビーフカレー辛口
スーパードライ😄
2021/02/14
第一次黒井城の戦い
2月14日
日曜日
聖バレンタインデー
第一次黒井城の戦い
1576年(天正4年1月15日)
丹波国黒井城を
包囲していた明智光秀軍が、
波多野秀治兄弟の裏切りに遭い敗退。
光秀は越前より坂本城に帰城し、
戦の準備を整えて同年10月初旬に
出陣したと考えられている。
この時
赤井直正は竹田城にいたが、
光秀の動きを察知し黒井城に帰城、戦闘態勢を整えた。
これと並行して信長は10月1日、
丹波国人衆に向けた朱印状を出し、
その調略によって八上城の波多野秀治をはじめ、
国人衆の大半を取り込んでいた。
光秀は
黒井城の周囲に2、3箇所の砦を築き、
黒井城を包囲した。
この頃の戦況は光秀に有利であり、
この戦況について光秀は
「城の兵糧は来春までは続かないで落城するであろう」
と楽観しており、戦いは順調に推移していた
(『八木豊信書状』)。
しかし
攻城戦開始後2か月以上が経過した
翌天正4年(1576年)1月15日、
波多野秀治軍が
3方向から攻めて明智軍は退却となった。
「赤井の呼び込み軍法」と言われているものである。
この戦いは
秀治の裏切りにより勝敗がついたが、
呼び込みという言い方は適切ではない。
なぜこのような言い方が伝わったか、
信長の朱印状の返事をどのようするか、
丹波国人衆が集まり協議を行い
「直正のみが信長の意向に従わない、
他の国人衆は信長に従うので直正を討ち滅ぼしてほしい」という偽りの返事をしたのではないか
と指摘されている。
『籾井家日記』によると
「直正と秀治の間には密約があり予定の行動であった」
という記載があるが、
「その記述は信用できるものではない」
と指摘されており、
また「赤井、波多野両家は姻戚関係にあり、
事前に密約があった可能性があるものの、
はっきりした記録はない」とも指摘されている。
『甲陽軍鑑』によると
直正は「名高キ武士」として、
徳川家康、長宗我部元親、赤井直正と
並び紹介されているほどの武将である。
直正には、
信長を丹波に呼び込んで
討ち取る計略があったのではという指摘もあるが、
それらを示唆できる資料も確認されていない。
敗れた光秀は京都に逃げ込み、
その後坂本城に帰城した。
先の戦いから1か月後、
再び戦の準備を整え2月18日に
坂本城を出陣し丹波に入国したが、
この時はほとんど戦わず短期間で引き揚げてしまった。
一方、
この戦いで織田軍を破ったことで
赤井直正は「丹波の赤鬼」という名を広めた。
ちなみに
丹波の赤鬼
赤井直正は
赤井英和のご先祖であるようです。