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2021/03/12

週末立ち飲み 木下酒店

3月12日
金曜日

週末立ち飲み

木下酒店

スーパードライ小瓶
黒糖焼酎れんとお湯割4杯

鶏皮
湯豆腐
イカ足みりん干し

週末立ち飲み  木下酒店

2021/03/12

自転車屋の生き物歳時記 イタチ

3月12日
金曜日

自転車屋の生き物歳時記

イタチ
(ニホンイタチ)

昨日の夜のウォーキングで
近所の古い市営住宅から
イタチがスッと出て来て
スタジアムの方に
素早く走って行くのを見ました。

浜山地区には
まだ
環境省レッドリスト準絶滅危惧種の
イタチがおるんやな❗

イタチ(鼬、鼬鼠)とは、
ネコ目(食肉目) イヌ亜目 クマ下目 イタチ科 イタチ属 Mustela に含まれる哺乳類の総称である。

オコジョ、イイズナ、ミンク、ニホンイタチなどが
イタチ属に分類される。

ペットとして人気のあるフェレットもイタチ属である。

なお、「イタチ」の語は元来、
日本に広く棲息するニホンイタチ
Mustela itatsiを特に指す語であり、
現在も、
形態や生態のよく似た近縁のチョウセンイタチ
M. sibirica coreana を含みながら、
この狭い意味で用いられることが多い。

また、
広義にはイタチ亜科(あるいはイタチ科)の
動物全般を指すこともあるが
(イタチ亜科の場合、テンやクズリなどの仲間も含まれる)、ここではイタチ属のイタチ類について記す。

日本全国、ユーラシア、アフリカ、
南北アメリカ大陸の亜熱帯から寒帯まで
広く分布している。

イタチ属の動物は、
しなやかで細長い胴体に短い四肢をもち、
鼻先がとがった顔には丸く小さな耳がある。

多くの種が体重2kg以下で、
ネコ目(食肉類)の中でも最も小柄なグループである。

中でも
イイズナ Mustela nivalisはネコ目中最小の種であり、
体重は
アメリカイイズナ M. n. rixosa で30-70g、
ニホンイイズナ M. n. namiyeiで25-250gである。

イタチ類は、
オスに比べメスが極端に小柄であることでも知られ、
この傾向は小型の種ほど顕著である。

メスの体重は、
たとえば前述のアメリカイイズナや
チョウセンイタチ M. s. coreanaではオスの半分、
ニホンイタチではオスの3分の1である。

小柄な体格ながら、
非常に凶暴な肉食獣であり、
小型の齧歯類や鳥類はもとより、
自分よりも大きなニワトリやウサギなども
単独で捕食する。

反対に
イタチを捕食する天敵は
鷲・鷹・フクロウと言った猛禽類とキツネである。

肛門腺が発達しており、
そこから強い悪臭を帯びた分泌液を噴出することで
外敵から身を守る。

水辺を好み、泳ぐのも上手い。

イタチ属 Mustela に属する動物は、
日本には5種8亜種が棲息する。

このうち、
アメリカミンクは外来種であり、
在来種に限れば4種7亜種となる。

比較的大型のイタチ類
(ニホンイタチ、コイタチ、チョウセンイタチ)
に対して、
高山部にしか分布しないイイズナ
(キタイイズナ、ニホンイイズナ)と
オコジョ(エゾオコジョ、ホンドオコジョ)は
ずっと小型であり、
特に、
ユーラシア北部から北米まで広く分布するイイズナは、
最小の食肉類でもある。

4種の在来種
(ニホンイタチ、
チョウセンイタチ(自然分布は対馬のみ)、
イイズナ、オコジョ)のうち、
ニホンイタチ(亜種コイタチを含む)は
日本固有種であるが、
前述のように(チョウセンイタチと同じく)
大陸に分布する
シベリアイタチの亜種とされることもある。

また、
亜種のレベルでは、
本州高山部に分布する
ニホンイイズナとホンドオコジョが日本固有亜種であり、これに
チョウセンイタチとエゾオコジョを加えた4亜種は、
環境省のレッドリストで
NT(準絶滅危惧)に指定されている。

外来種問題に関わるものとしては、
西日本では国内移入亜種のチョウセンイタチが
在来種のニホンイタチを、
北海道では国内外来種のニホンイタチと
外来種のアメリカミンクが在来亜種のエゾオコジョを、
一部の島嶼部では
ネズミ類などの駆除のために移入された
ニホンイタチが在来動物を、それぞれ圧迫している。

自転車屋の生き物歳時記  イタチ

2021/03/12

お水取り

3月12日
金曜日

お水取り
(奈良・東大寺)

お水取り(おみずとり)は
東大寺二月堂で行われる、
修二会という法会の中の一行事。

目的は、
仏の前で罪過を懺悔すること(悔過)であり、
現在は3月1日から14日までおこなわれている。

その間、
心身を清めた僧(練行衆)が
十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって懺悔し、
あわせて天下安穏などを祈願する。

二月堂本尊の十一面観音を祀る懺悔祈祷の厳行であり、
752年(天平勝宝4年)、
良弁(ろうべん)の高弟実忠(じっちゅう)によって
はじめられたと伝えられている。

お水取りの通称は、
東大寺領であった若狭の荘園から
水を運搬して来たことに由来する。

この行のハイライトは
達陀(だったん)の行法であり、
練行僧が松明を持って走る姿は
奈良の風物詩となっている。

近畿地方では、
「お水取りが終わると春が来る」という。

「お水取り」は
あくまで行中の一部であり、
旧暦2月に行われていたため
「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるが、
正式名称は
「十一面悔過(じゅういちめんけか)である。

お水取り