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2020/07/18

百済滅亡

7月18日
土曜日

百済滅亡

660年7月18日
(顕慶5年6月6日)

百済が
唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)により滅ぼされる。

百済(くだら/ひゃくさい、朝鮮語: 백제)、
旧字体:百濟、4世紀前半-660年)は、
古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。

百済の歴史は
その首都の移動によって、
大きく漢城時代(475年まで)、
熊津時代(475~538年)、
泗沘時代(538年から)に分類される。

漢城期には
現在の京畿道を中心としていたが、
高句麗の攻撃によって首都漢城が陥落し、
一時的に滅亡した後は、
現在の忠清南道にあった
熊津(現:公州)へと遷って再興した。

熊津時代の百済は弱体化していたが、
武寧王が高句麗を撃退したことにより
次第に国力を回復し、
南方の伽耶(加羅)地方へと勢力を拡張した。

538年には新たな首都として泗沘を建設し、
一層伽耶地方を含む周囲への拡大を図った。

百済が存続していた時代には、
朝鮮半島北部から
満州地方にかけての地域に高句麗、
朝鮮半島南東部に新羅、
半島南部には多数の伽耶諸国が存在していた。

この時代は
朝鮮史の枠組みにおいて三国時代と呼ばれている。

中国の南朝と密接な関係を結び、
仏教や各種の南朝文化・学問を導入して栄え、
周辺諸国とも交流を持った。

現在、
百済の歴史は高麗時代に編纂された
歴史書『三国史記』や、
日本の『日本書紀』、
中国の歴代の正史などによって知られており、
また墓や寺院跡のような
考古学的遺物からも学術的な調査が行われている。

宋山里古墳群にある
武寧王陵は百済の最も著名な墳墓で、
20世紀に未盗掘のまま発見されたため、
往時の文化遺産が多数残された。

中国で南北朝時代が終焉を迎え、
隋が成立するといち早く関係を結んだが、
ついで唐が成立すると、
唐は高句麗を制圧するため
その背後を抑えるべく百済攻略を企図し、
新羅を支援して百済を攻撃した。

これによって
660年に百済は滅亡し、
王族や遺臣たちは
倭国(日本)の支援を受けて
百済復興運動を起こしたが、
663年の白村江の戦いにおける敗戦とともに
鎮圧された。

その後
唐は旧百済領の経営に乗り出したが、
本国における問題と新羅による攻撃の結果、
最終的に朝鮮半島から撤退し、
百済の故地は新羅に組み入れられた。

百済滅亡

2020/07/17

自転車屋の生き物歳時記 アオスジアゲハ

7月17日
金曜日

自転車屋の生き物歳時記

アオスジアゲハ

何度か上げたと思いますが
好きな蝶なのでね❗

アオスジアゲハ
(青条揚羽、学名: Graphium sarpedon)は、
アゲハチョウ科アオスジアゲハ属に
分類されるチョウの一種。

都市周辺でもよく見られ、
公園、街路樹、照葉樹林などに生息する。

クロタイマイともいう。

成虫の前翅長は30~45mm ほど。

翅は黒色で、
前翅と後翅に青緑色の帯が貫いている。

この帯には鱗粉がなく、
鮮やかなパステルカラーに透き通っている。

ごくまれに、
青帯をまったく欠く変異個体が発見されることがある。

翅斑は雌雄ともによく似ているため、
雌雄の同定は生殖器で判断するのがよい。

成虫の出現期は5~10月。

年3~4回発生する。

飛び方は敏捷で飛翔力が高く、
樹木や花のまわりを
めまぐるしく飛び回っていることが多い。

雄は初夏から夏にかけて水辺に吸水集団を形成する。

アゲハチョウ類には珍しく、
静止時には通常、翅を閉じて止まるが、
翅を開いて止まることがないわけではない

幼虫の食草は
クスノキ科植物(クスノキ、タブノキ、シロダモ、ヤブニッケイなど)の葉である。

蛹はクスノキの葉を似せた形状をしている。

一般のアゲハチョウ類と違い、
幹ではなく葉に蛹を形成する。

越冬態は蛹。

東アジア、東南アジア、
オーストラリア北部の広い範囲に生息し、
15の亜種に分かれる。

日本では
G. s. nipponum (Fruhstorfer, 1903)が
本州以南に分布するが、
南方を起源とするチョウなので、
本州中部以北ではそれほど多くなく、

東北地方南部あたりが北限とされており、
北海道にはいない。

この亜種は日本のほか朝鮮半島にも分布する。

自転車屋の生き物歳時記  アオスジアゲハ

2020/07/17

大化(たいか)

7月17日
金曜日

大化
(初めての元号)

645年7月17日
(大化元年6月19日)

日本初の元号「大化」が制定される。

(『日本書紀』による)

大化(たいか)は、日本の最初の元号。

白雉の前。

西暦645年から650年までの期間を指す。

645年(大化元年)

古人大兄皇子を中大兄皇子(後の天智天皇)が殺害。

東国などの国司に戸籍の作成、田の調査を命じる。

難波長柄豊碕宮へ遷都。

646年(大化2年)

改新の詔(大化の改新の詔)、薄葬令を発する。

高向玄理を新羅に派遣、
新羅から任那への調を廃止させる。

647年(大化3年)

七色十三階の官位が制定される。

648年(大化4年) 

磐舟柵を造る。

649年(大化5年) 

官位十九階が制定される。

蘇我倉山田石川麻呂、
謀反の疑いをかけられ山田寺で自害する。

石川麻呂を讒言した
蘇我日向を大宰府に左遷。

大化(たいか)