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2021/04/14

春の高山祭

4月14日
水曜日

春の高山祭

岐阜県高山市で行われる日枝神社の例祭。

日本三大美祭の一つに数えられる。

高山祭(たかやままつり)は、
岐阜県高山市で毎年開催される、
4月14~15日の日枝神社例祭
「春の山王祭」と、
10月9~10日の櫻山八幡宮例祭
「秋の八幡祭」の総称である。

京都市の祇園祭、
埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで
日本三大曳山祭の1つに数えられる。

また、
京都市の祇園祭、
埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで
日本三大美祭とされる。

重要有形民俗文化財および
重要無形民俗文化財に指定されている。

今年もコロナで
曳き回しとかは
出来ないんでしょうね。

春の高山祭

2021/04/13

決闘の日

4月13日
火曜日

決闘の日

慶長17年旧暦4月13日
(1612年5月13日)

船島(巌流島)で
宮本武蔵と佐々木小次郎の
決闘が行われたことにちなむ。

小次郎破れたり‼️

決闘の日

2021/04/12

任那復興

4月12日
月曜日

任那復興

601年4月12日
(推古天皇9年3月5日)
 
推古天皇が
高句麗・百済に使いを送り
任那の復興を要請。

任那日本府(みまなにほんふ)は、
古代朝鮮半島にあったとする
ヤマト王権の出先機関ないし外交使節、
またその学説。

日本書紀を中心に、
複数の古文書に
それらの存在を示唆するような記述がある。

特に
1991年(平成3年)、
日本の「前方後円墳」と類似した様式の墓が
朝鮮半島南部で発掘され、
倭系集団の存在が浮上した。

任那日本府の性格の一端は
構成員の分析と古訓から導き出される。

任那日本府の構成員のなかには、
日韓混血の人物や百済の冠位をもつ人物、
朝鮮三国風の名を有する人物も多くみられるが、
ヤマト王権の中央豪族と考えられる人物も
また多くみられる。

『日本書紀』の編者が
創作した人物が混じっていたり、
朝鮮風の名を日本風に改めたケースがあったりしたことも否定できないわけではないが、
すでに
『百済本記』において
「烏胡跛(うごは)臣」(的(いくは)臣)、
「為哥岐弥(いかきみ)」(伊賀君)、
「加不至費直(かふちのあたい)」(河内直)
とあるので、
ヤマト王権の中央豪族がいたことは確実視される。

したがって、
任那日本府の構成員の中心は
日本人および日系人であったとみることができる。

日本府の古訓は
「ヤマトノミコトモチ」であり、
国内の地方行政官たる国司もまた
「ミコトモチ」と訓じられる。

国司が「ミコトモチ」と訓じられる所以は、
国司が天皇(大王)の言葉を
在地の人びとに伝えるためであるので、
「ヤマトノミコトモチ」とは
ヤマト王権から派遣された代表者ということとなる。

この場合、
上下関係が存在すれば任那支配のための機関となるが、
上下関係が存在しないとすれば外交使節となる。

また、
「ミコトモチ」の語は本来的には
個人を指し示す語であるので
「日本府」の漢字を充てたために
壮大な機構と考えられがちだが、
必ずしもそうとはかぎらない。

任那復興