ブログ

2020/08/13

寛政の改革

8月13日
木曜日

寛政の改革

1787年8月13日
(天明7年7月1日)

江戸幕府老中・松平定信が、
享保の改革にならうよう各役人に訓戒。

寛政の改革の始まり。

寛政の改革(かんせいのかいかく)は、
江戸時代中期、
松平定信が老中在任期間中の
1787年から1793年に
主導して行われた幕政改革である。

享保の改革、天保の改革とあわせて
三大改革と並称される。

前代の田沼時代は
最初期から天災飢餓が続出していた。

宝暦・明和期は大旱魃や洪水など天災が多発し、
江戸では明和の大火にて
死者は1万4700人、
行方不明者は4000人を超えた。

このように変事が続いたため
年号を安永に変更し安寧を願った。

当時の落首でも
「明和九も昨日を限り今日よりは. 壽命久しき安永の年」とうたっており天災が収まることを願われた。

しかし、
その後も天災地変は続き、
天災・疫病、三原山・桜島・浅間山の大噴火、
そして天明の大飢饉が起こった。

このような背景により
田沼時代は一揆や打ちこわしが
全国各地で激発した時代だった。

宝暦~天明期の38年の間に
発生した一揆の数は600件近くあり、
都市騒擾も150件以上にのぼった。

また件数の増大だけでなくその規模も拡大していた。

それに対し田沼は処罰の厳罰化にて対応しようとした。

全国的な一揆・打ちこわしの広まりは
幕藩体制の弱体化を示しており、
幕府の権威は大きく揺らいだ。

また、
定信政権自体が「打ちこわしが生んだ政権」でもあった。

江戸の打ちこわしがなければ
田沼派が失脚し定信の老中就任はなかった。

杉田玄白は
「もし今度の騒動なくば御政事改まるまじなど
申す人も侍はべり」と指摘している。

田沼時代は幕藩体制が解体向かう重要な転換期であった。

そんな田沼時代が終わった当初、
農業人口は140万人も減少しており、
幕府財政は天明の大飢饉の損害と将軍家治の葬儀の為、
100万両の赤字が予想されていた。

このような財政難の解消、
崩壊する封建的社会構造の維持が求められる中で
田沼の功利主義の元、民衆を顧みなかった時代とは違う、民衆を慰撫する政策が求められることとなった。

もはや処罰の厳罰化だけで
民衆の反動に対応できる状況でなくなっていた。

そのような背景の元、寛政の改革は始まった。

民衆蜂起の再発防止と、
そのための本百姓体制の再建を図るべく、
解体する農村の復興や暮らしに困る人々に対する
福祉政策、財政再建の為の即効性のある緊縮政策を行い、為政者と財産のある富裕層の連携の元、
改革を実施していくこととなる。

寛政の改革

2020/08/12

自転車屋の生き物歳時記 コクワガタ

8月12日
水曜日

自転車屋の生き物歳時記

コクワガタ

先日の蓬山渓の沢歩き
谷上駅のホームの階段で
コクワガタのメスを見かけた。

クワガタが駅にいるって
さすがに山近くの駅やな。

コクワガタ(小鍬形 Dorcus rectus)は、
コウチュウ目・クワガタムシ科・オオクワガタ属
・コクワガタ亜属の1種で、5亜種に分類されている。

広く分布し、
日本本土では最も普通に見られる
クワガタムシの1つである。

種小名のrectus とは「真っすぐの」という意味である。

国産クワガタムシの最普通種。

「小さい鍬形虫」という意味の和名だが、
日本のクワガタムシの中では決して小さくはなく、
中型種であるといえる。

体長はオスが17~54.4 mm、
メスが21.5~33mm
(飼育下ではオスが最大58.1mm、メスが mm)。

他のオオクワガタ属と同様に体は上下に平たく、
黒い体色をしているが、赤褐色を帯びるものもいる。

オオクワガタやヒラタクワガタに比べると
体幅が狭く細いが、頭盾はヒラタクワガタより幅広い。

オスの大顎は
オオクワガタやヒラタクワガタに比べて細長く、
前方に伸びる。

大アゴの中央から前方1/3くらいの位置に内歯
(内側のトゲ)を1対だけ有し、
先端にもとても小さい内歯を1対持つ。

小さなオスではこれらの歯は消失する。

オスの頭部背面、前胸背板、上翅は
全体に密で浅い艶消しがあり光沢は弱い。

内歯が全て消失した小型個体はかつて
「ヒメクワガタ」の和名を与えられ
別種と考えられていた。

メスの場合は
前胸背板にやや強い光沢を持ち、
上翅の縦縞は平行となる。

同じコクワガタ亜属のスジクワガタ D. striatipennis や
ネブトクワガタなどとよく似ていて
混同されることもあるが、
オスの大アゴに歯が1つしかないこと、
前翅に線がないことなどで区別できる。

またネブトクワガタは本種とは大きく生態が異なり、
幼虫は主としてシロアリが食害した腐植質を餌とする。

日本・朝鮮半島・中国・台湾

東アジアに広く分布し、
日本でも北海道から九州まで全国に分布する。

個体数は他種のクワガタムシよりも多く、
見かける機会は最も多いと言える。

主にクヌギ・コナラなどで構成される
雑木林や里山、森林・山間部沿いの
河川敷のヤナギやアキニレ林に生息している。

平地性のクワガタムシの代表格であるが、
本種は他のクワガタムシの少なくなる
ブナ・ミズナラ帯などの高標高地にも生息しており、
圧倒的な生息数・環境への適応力を誇る。

森林だけでなく、
街路樹や公園の樹木などの都市部の
小規模な緑地でも見られることがあり、
ノコギリクワガタと並んで日本のクワガタムシの中では
最もなじみ深い種類である。

木を蹴ると落ちてくるので、採集もしやすい。

野外で成虫は5月から10月中旬ごろまで活動し、
おもにクヌギ・コナラ・アベマキ・カシ・ヤナギ・ニレ・アカメガシワ・シラカシ・オニグルミなど
多様な広葉樹の樹液に集まり、
樹液以外にも熟した果実などに集まることもある。

樹液を出す樹木の少ない山間部などでは、
メスがヒメオオクワガタやアカアシクワガタの様に
樹皮を削り、自ら樹液を出す行動を取ることもある。

他にも朽木の中に潜んでいたり、
夜間に灯火に飛来したりする。

特に越冬明けの春から初夏に飛来することが多い。

夜行性だが、
オオクワガタやヒラタクワガタほど
徹底している訳ではなく、昼間にも活動する。

樹液の他には、
産卵木である広葉樹の朽木の上や、
木の洞や樹液の出ている
木の根元や土中でも見つけられることがある。

幼虫は広葉樹の朽木に穿孔し、その材を食べて成長する。

クスノキのような殺虫成分を持たなければ
食樹の樹種は問わない。

クスノキであっても腐朽の進行により
殺虫成分が減衰していれば、しばしば穿孔している。

稀ではあるが
針葉樹であるマツの朽木から発見される例もある。

野生下では
孵化から蛹化にまる1年かかるのが普通であるが、
寒冷な環境では2年かかることもある。

蛹の期間は約3週間。

羽化した成虫の成熟には1か月を要するが、
夏から秋に羽化した場合、
そのまま越冬して翌年春に活動を開始する場合が多い。

一旦野外活動を開始した成虫は、
一部の個体はその年に一生を終え、
残りの個体はそのまま越冬する。

しかし越冬した個体も大半は翌年夏に一生を終え、
再越冬する個体は僅かである。

また当期の夏を生き抜き、
運良く越冬準備に入れた個体も体力的に衰えを迎え、
寒さに耐えきれず越冬中に死亡するケースも少なくない。

自転車屋の生き物歳時記  コクワガタ

2020/08/12

航空安全の日

8月12日
水曜日

航空安全の日・茜雲忌

1985年(昭和60年)8月12日

520人の犠牲者を出した
日本航空123便墜落事故にちなむ。

遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集した
メッセージ集のタイトルから
「茜雲忌」とも呼ばれる。

日本航空123便墜落事故。

日本航空の羽田発伊丹行きの
ボーイング747型機が、
群馬県の高天原山の山腹「御巣鷹の尾根」に墜落。

乗客乗員520名が死亡。

4人が生還(発見は翌13日早朝)
単独機としては世界最悪の航空事故。

航空安全の日