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2020/08/20

智恵子抄(ちえこしょう)

8月20日
木曜日

智恵子抄

1941年(昭和16年)8月20日

高村光太郎の詩集『智恵子抄』が刊行。


あどけない空の話


智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。

智恵子抄(ちえこしょう)

2020/08/19

俳句の日

8月19日
水曜日

俳句の日

8月19日の
「819」が「はいく」と読めることから。

京都教育大学教授で
正岡子規研究家の坪内稔典が提唱。

夏休み中の子供達に、
俳句に親しんで興味を持ってもらうために、
毎年イベントを行っている。

俳句の日

2020/08/19

越前一向一揆

8月19日
水曜日

越前一向一揆

1574年8月19日
(天正2年8月3日)

越前と近江の国境、
木目峠を守護していた樋口直房が
一揆勢力と独断で講和し退陣。

越前国全域が一揆衆の勢力下になる。

越前一向一揆(えちぜんいっこういっき)は、天正年間に越前国に起きた一向一揆のこと。

天正2年(1574年)に越前国で発生した
富田長繁対石山本願寺と結託して一向一揆となった
土一揆との戦いと、
天正3年(1575年)8月から9月にかけて行なわれた織田信長対一向一揆の戦いがある。

この結果、
信長は越前を失陥することになった、
しかし、
当時織田氏は武田氏、長島一向一揆、
大坂の石山本願寺など
他の敵対勢力との抗争に忙殺されており、
すぐに失地回復のための
討伐軍を派兵することは不可能であった。

ところが、
七里頼周や新しい越前の領主として
石山本願寺から派遣された下間頼照ら坊官の政治は、
越前の豪族や寺社勢力、
領民の期待に沿うような善政ではなかった。

下間らは自らの私利私欲を満たすため、
織田氏との臨戦体制下であるという大義名分のもと、
桂田長俊以上の重税や賦役を彼らに課した。

このため、
下間らの統治に不満を抱く層による
一揆内一揆が発生、一揆勢は内部から崩壊し始めた。

越前一向一揆