2021/05/30
風土記(ふどき)
5月30日
日曜日
風土記(ふどき)
713年5月30日
(和銅6年5月2日)
元明天皇が
諸国に風土記の編纂を命じる。
風土記(ふどき)とは、
一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことをさすが、狭義には、
日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を
国ごとに記録編纂して、
天皇に献上させた報告書をさす。
正式名称ではなく、
ほかの風土記と区別して「古風土記」ともいう。
律令制度の各国別で記されたと考えられ、
幾つかが写本として残されている。
奈良時代初期の官撰の地誌。
元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、
主に漢文体で書かれた。
律令制度を整備し、
全国を統一した朝廷は、
各国の事情を知る必要があったため、
風土記を編纂させ、地方統治の指針とした。
『続日本紀』の和銅6年5月甲子
(ユリウス暦713年5月30日、
先発グレゴリオ暦6月3日)の条が
風土記編纂の官命であると見られている。
ただし、
この時点では風土記という名称は用いられておらず、
律令制において
下級の官司から上級の官司宛に提出される
正式な公文書を意味する
「解」(げ)と呼ばれていたようである。
なお、
記すべき内容として下記の五つが挙げられている。
国郡郷の名(好字を用いて)
産物
土地の肥沃の状態
地名の起源
伝えられている旧聞異事
現存するものは全て写本で、
『出雲国風土記』がほぼ完本、
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、
『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が
一部欠損した状態で残る。
その他の国の風土記も存在したと考えられているが、
現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。
ただし、
逸文とされるものの中にも、
本当にオリジナルの風土記の記述であるか
疑問が持たれているものも存在する。
2021/05/29
備中高松城の戦い
5月29日
土曜日
備中高松城の戦い
1582年5月29日
(天正10年5月8日)
備中高松城の戦い
豊臣秀吉が、
水攻めのため備中高松城を包囲する
堤防の建設を開始。
12日間で完成。
備中高松城の戦い
(びっちゅうたかまつじょうのたたかい)は、
日本の戦国時代におきた戦い。
天正10年(1582年)に
織田信長の命を受けた家臣の羽柴秀吉が
毛利氏配下の清水宗治の守備する
備中高松城を攻略した戦いである。
秀吉は高松城を水攻めによって包囲したことから、
高松城の水攻め(水責め)とも呼ばれる。
備中高松城の戦いは
忍城の戦い、太田城 (紀伊国)の戦い、
ととも日本三大水攻めのひとつに数えられる。
水攻めの最中に
主君である織田信長が
明智光秀に討たれる本能寺の変が起きた。
その報を聞いた秀吉は
ただちに毛利方と和睦を結んで、
城主清水宗治の切腹を見届けた後、
明智光秀を討つために軍を姫路へ引き返した。
2021/05/28
週末家飲み
5月28日
金曜日
週末家飲み
緊急事態宣言の為
今週も家飲み
スーパードライ350
角ハイボール濃い目500
卯の花
赤貝の缶詰
スモークチーズ
〆の炭水化物
マルちゃん麺づくり
担々麺