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2021/06/01

今川氏の滅亡(戦国大名としての)

6月1日
火曜日

今川氏の滅亡
(戦国大名としての)

1569年6月1日
(永禄12年5月17日)

今川氏真が
掛川城を開城して伊豆へと落ち延びる。

戦国大名としての今川氏の滅亡。

今川 氏真(いまがわ うじざね)は、
戦国時代から江戸時代初期にかけての
武将、戦国大名、文化人。

今川氏12代当主。

父・今川義元が
桶狭間の戦いで織田信長によって討たれ、
その後、今川家の当主を継ぐが
武田信玄と徳川家康による駿河侵攻を受けて敗れ、
戦国大名としての今川家は滅亡した。

その後は
同盟者でもあり妻の早川殿の実家である
後北条氏を頼り、
最終的には桶狭間の戦いで今川家を離反した
徳川家康と和議を結んで
臣従し庇護を受けることになった。

氏真以後の今川家の子孫は
徳川家に高家待遇で迎えられ、
江戸幕府で代々の将軍に仕えて存続した。

今川氏の滅亡(戦国大名としての)

2021/05/31

上米の制の停止

5月31日
月曜日

上米の制の停止

1730年5月31日
(享保15年4月15日)

江戸幕府が上米の制を停止し、
参勤交代の期間を元の1年おきに戻す。

上米の制(あげまいのせい)は、
江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が
享保の改革の際に出した制度。

上げ米の制と表記することもある。

享保7年(1722年)に制定された。

大名に
石高1万石に対して100石の米を納めさせる代わりに、参勤交代の際の
江戸在府期間を半年(従来は1年)とした。

幕府の増収に貢献したが、
問題点も多く享保15年(1730年)に廃止された。

そもそも上米の制は
「御恥辱を顧みられず仰せ出され候」
と述べられるように、
幕府財政を各藩に依存するものであり、
幕府権威の低下は免れなかった。

また、
参勤交代の緩和策は江戸藩邸での経費削減につながり、
大名の経済力の拡大をもたらしうるものだった。

上米の制の停止

2021/05/30

中華料理 哈爾濱(ハルピン)

5月30日
日曜日

大開通
中華料理 哈爾濱(ハルピン)

夜のウォーキングで
いつも前を通っていて
一度行ってみたいなと思っていたお店です。

緊急事態宣言の為
アルコールはなし

牛バラシチュー飯
(牛バラ肉・タケノコ・チンゲン菜の餡掛け)

ワンタン

中華料理  哈爾濱(ハルピン)