2021/07/27
太閤検地
7月27日
火曜日
太閤検地
1582年7月27日
(天正10年7月8日)
太閤検地
羽柴秀吉が近江で初めて検地を行う。
太閤検地(たいこうけんち)は、
豊臣秀吉が日本全土で行なった検地
(田畑(山林は除く)の測量及び収穫量調査)。
天正の石直し、文禄の検地ともいう。
領主が自領内に課税するにあたり、
その基礎資料として自領内の地勢を把握することは
非常に重要ではあったが、
家臣や領内の有力一族の抵抗が大きいため
実施は難しいとされていた。
しかし
北条早雲に始まる戦国大名の出現で、
自らの軍事力と裁判権を背景に
独自の領地高権を行使することを可能とした。
この行使の一例が検地であった。
織田信長も検地を実施していた
(これを信長検地とよぶことがある。)が、
このとき奉行人であった木下藤吉郎(後の秀吉)も
すでに実務を担当していたことが知られており、
その重要性を把握していたとみられる。
天正10年(1582年)
信長を襲った明智光秀を山崎で討った後には、
山崎周辺の寺社地から台帳を集め
権利関係の確認を行うなど検地を本格化させていく。
これらの、
太閤を名乗る天正19年(1591年)
以前からのものを含め、
秀吉が関わった検地を太閤検地とよぶ。
この集大成として
関白を辞して太閤となった秀吉は、
将軍に上納されて叡覧に備用される
「御前帳」になぞらえ、
検地によって得られた膨大な検地帳を元に、
国ごとに秀吉が朱印状で認めた
石高を絵図を添えて提出するよう
指令を出して徴収させた。
これを「天正御前帳」という。
太閤検地の成果は、
権利関係の整理や単位統一が図られた
革新的な意味をもつのみでなく、
農民への年貢の賦課、
大名や家臣への知行給付、軍役賦課、家格など、
その後の制度、経済、文化の基礎となる
正確な情報が中央に集権されて把握されたことであり、
その意義は大きい。
後に徳川家康も、慶長9年(1604年)に
単位を国から郷に改めて
御前帳と国絵図を徴収している(慶長御前帳)。
2021/07/26
阿部兄妹 オリンピック柔道金メダル獲得
7月26日
月曜日
阿部兄妹
オリンピック柔道金メダル獲得
阿部一二三
阿部 詩の兄妹が
オリンピック柔道で
兄妹揃って金メダルを獲得しました。
実はこの二人は
ウチの
すぐ近所の笠松商店街の子供たちです‼️
近所から
オリンピック金メダリストが出るなんて
素晴らしすぎます‼️
2021/07/25
焼肉バル きんちゃんち 〆の炭水化物 冷麺
7月25日
日曜日
天神祭
焼肉バル
きんちゃんち
〆の炭水化物
きんちゃん冷麺