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2021/09/09

7分組自転車

9月9日
木曜日
重陽の節句

7分組自転車

自転車が入荷する時

完組(完成車)
7分組(7割完成)
バラ(1からの組立)

三種類の状態で入荷しますが
バラと言うのは
40~50年前は
結構ありましたが
現在では絶滅危惧種。

現在では完組が大半です。

久しぶりに
7分組の自転車を組み立てました。

7分組自転車

2021/09/08

菊の被綿

9月8日
水曜日

菊の被綿

重陽の前日である
9月8日の夜に
菊の花を真綿で覆って夜露と香りを写し取り
翌朝にその綿で体や顔を拭う日本独自の風習。

重用の節句は
旧暦で
菊も夜露も新暦では時期が早いので
こう言う風習は
廃れてしまっているのでしょうね。

菊の被綿

2021/09/07

光明皇后

9月7日
火曜日

光明皇后

729年9月7日
(天平元年8月10日)

藤原不比等の娘・光明子(後の光明皇后)が
聖武天皇の妃となる。

初の皇族以外の皇后。

光明皇后(こうみょうこうごう)
大宝元年(701年) -
天平宝字4年6月7日(760年7月27日))

奈良時代の聖武天皇の皇后。

藤原不比等と県犬養橘三千代の女子で
聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。

諱は安宿媛(あすかべひめ)。
通称に光明子(こうみょうし)、
藤三娘(とうさんじょう)。

正式な尊号は
天平応真仁正皇太后(てんぴょう おうしん にんしょう こうたいごう)。

皇族以外から立后する先例を開いた。

光明皇后は仏教に篤く帰依し
東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられる。

また貧しい人に
施しをするための施設「悲田院」
医療施設である「施薬院」を設置して
慈善を行った。

夫の死後四十九日に
遺品などを東大寺に寄進
その宝物を収めるために正倉院が創設された。

さらに、興福寺、法華寺、新薬師寺など
多くの寺院の創建や整備に関わった。

光明皇后は
仏教への帰依と
医療の開発や貧しい人々への施しなど
強い慈悲の心で
多大な社会貢献を行った

天平のマザー・テレサですよ。

光明皇后