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2020/11/17

水島の戦い

11月17日
火曜日

水島の戦い

1183年11月17日
(寿永2年閏10月1日)

治承・寿永の乱: 水島の戦い。

水島の戦い(みずしまのたたかい)は、
平安時代末期における
治承・寿永の乱の戦闘の一つである。

備中国水島(現在の倉敷市玉島)において
源義仲軍と平氏軍との間で行われた。

当時、平氏軍の拠点は讃岐の屋島にあった。

平氏を追討するため、
寿永2年(1183年)9月20日に
源義仲軍は都を出発して屋島方面へ進軍していったが、
閏10月1日、四国へ渡海する前に、
水島付近で平氏軍に敗れた。

義仲軍を率いていたのは、
義仲の同族である武将
足利義清・足利義長兄弟と海野幸広(海野氏)である(『源平盛衰記』)。

平氏は、
軍船同士をつなぎ合わせ、
船上に板を渡すことにより、陣を構築した。

源平両軍の船舶が接近し、
互いに刀を鞘から抜いて、
今にも白兵戦を始めようかという時、
平氏の射手が義仲軍へ矢を浴びせかけて戦闘が開始した。

平氏軍は船によく装備された馬を同乗させており、
その軍馬とともに海岸まで泳いで上陸した。

最終的に平氏軍は勝利し、
義仲軍は
足利義清・海野幸広の両大将や足利義長(義清の弟)、
高梨高信、仁科盛家といった諸将を失い壊滅、
京都へ敗走することになった。

この勝利により平氏軍は勢力を回復し、
再入京を企て摂津福原まで戻り、
一ノ谷の戦いを迎えることとなる。

なお、
この戦いの最中に95%ほど欠けた
金環食が起こったことが、
「源平盛衰記」等の資料によって確認されている(参照:「日食#予報の歴史」「日食の一覧#12世紀」)。

当時、
平氏は公家として
暦を作成する仕事を行っていたことから、
平氏は日食が起こることを予測しており、
それを戦闘に利用したとの説がある。

水島の戦い

2020/11/16

幼稚園記念日

11月16日
月曜日

幼稚園記念日

1876年(明治9年)11月16日

東京・神田に
日本初の官立幼稚園である
東京女子師範学校附属幼稚園
(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)
が開園したことに由来。

明治9年には
もう
幼稚園があったんですね‼️

幼稚園記念日

2020/11/15

11月の定期訓練 昼食 松茸御前

11月15日
日曜日

兵庫消防団第六分団
11月の定期訓練

今出在家財産区より
第六分団に対して寄贈された

消防車の御披露目会でした。

今出財産区の
皆様をお招きさせて頂きまして

消防車の御披露目
ポンプ操法の披露をさせて頂きました。

昼食はいつもの
訓練終了のちの
ほっかほか弁当ですが

メニューが
松茸御前と
いつもより高級でした😄

11月の定期訓練  昼食  松茸御前