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2021/01/30

自転車屋の生き物歳時記 ヒヨドリ

1月30日
土曜日

自転車屋の生き物歳時記

ヒヨドリ

先日
ウチの前の街路樹に
ヒヨドリが留まっていた。

まだ真冬で
エサもないし
巣作りの季節でもないが

ヒヨドリは
いつも
前の街路樹で巣作りをするので

ここで産まれ育って
巣立って行った奴が調査に来たのか⁉️

ヒヨドリ(鵯、白頭鳥、Hypsipetes amaurotis)は、
スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属に分類される鳥類の1種。

日本、サハリン、朝鮮半島南部、台湾、
中国南部、フィリピンの北部(ルソン島)に分布する。

日本国内では
留鳥または漂鳥としてごく普通に見られるが、
他の地域での生息数は少ない。

全長は約27.5 cm (27–29 cm)。

翼開長は約40 cm。

尾は長めで(尾長10.9-12.5 cm)

ムクドリやツグミより体型はほっそりしている。

くちばしは黒くて先がとがる。

雌雄同色。

頭部から胴体は灰色の羽毛に覆われるが、
頬に褐色の部分があり、よく目立つ。

また、
頭頂部の羽毛は周囲よりやや長く、冠羽となっている。

翼や尾羽は灰褐色をしている。

南に生息する種は、
北に生息する種より体色が濃い(グロージャーの法則)。

里山や公園など
ある程度樹木のある環境に多く生息し、
都市部でも見られる。

ツグミやムクドリよりも体を直立させてとまり、
おもに樹上で活動するが、
地上に降りることもある。

飛ぶときは数回羽ばたくと
翼をたたんで滑空するパターンを繰り返して飛ぶため、
飛ぶ軌道は波型になる。

鳴き声は「ヒーヨ! ヒーヨ!」などと甲高く聞こえ、
和名はこの鳴き声に由来するという説がある。

また、朝方には
「ピッピッピピピ」とリズムよく鳴くこともある。

日本では周年見られるが、
春および秋には渡りが各地で確認される。

秋には国内暖地へ移動する個体も多く、
10-11月には渡りが日本各地で観察され、
房総半島南端、伊良湖岬のほか、
関門海峡では1,000羽を越えて渡る群れも観察される。

果実や花の蜜を食べる。

繁殖期には果実に加え昆虫類も多く捕食する一方、
非繁殖期の餌は果実
(センダンやイイギリ、カキ、ヘクソカズラなど)
がほとんどである。

ツバキなどの花の蜜を好む。

早春にはツバキの木の近くにずっと陣取って、
花の蜜を求めて飛来する
メジロなどを追い払う姿をよく見かける。

5-9月にかけて繁殖する。

繁殖期間が比較的長いことについては、
捕食されるなど繁殖の失敗による
再繁殖が多いことが一つとして考えられる。

木の枝上に
外径 12–20 cm の体の大きさに比べると
小型の巣を作る。

高さ1-5mに営巣し、巣は椀形で、
小枝、枯れつる、イネ科の茎、細根、
市街地ではビニールの紐などを使って作られ、
産座には松葉やシュロの繊維、
ササの葉などが粗雑に敷かれる。

1回の繁殖で4個(3-5個)の卵を産み、
卵の大きさは
約2.95 cm × 2.05 cm(2.75-3.3 cm × 2.0-2.1 cm) で、
淡いバラ色に赤褐色の斑がある。

おもに雌のみによって12-14日間抱卵され、
孵化した雛は雌雄により育てられる。

雛は10-11日で巣立つが、
多くは巣立って数日のあまり飛べないため
巣の近くにおり、
またその後1-2か月のあいだ親鳥とともに行動する。

自転車屋の生き物歳時記  ヒヨドリ

2021/01/29

緊急事態宣言 いきなり〆の炭水化物

1月29日
金曜日

緊急事態宣言
いきなり〆の炭水化物

年末に
お母さんが足を怪我した
大野酒店が開いているか
見に行くとやはり閉まっていたので

炎のラーメンつぼ

緊急事態宣言で
アルコールの提供
午後7時まで😢

ねぎねぎラーメン味噌バター

マスターも
アルコール出したいんですけど
申し訳ありませんと

気を使っていました。

緊急事態宣言  いきなり〆の炭水化物

2021/01/29

人口調査記念日

1月29日
金曜日

人口調査記念日

1872年(明治5年)1月29日

日本初の全国戸籍調査が実施されたことにちなむ。

明治維新後最初の人口調査が行われ、
戸籍が編纂されました。

結果は男性 17,666千人, 女性 17,140千人、
合計 34,806千人でした。

現在の約4分の1です。

人口の調査はもちろん以前から行われています。

最も古い記録は崇神天皇の時代(AD350頃)になります。

残念ながらこの時は実際に何人だったのかの
記録はありません。

人口調査は一般に税金を課すために行われます。

奈良・平安時代頃は、
女性の方が税金が安いということで、
異様に女性の比率の高い集計結果が
出ていたケースも多いようです。

全国的な調査というのは
その後室町時代の戦乱の中で中断していましたが、
江戸時代になると
「人別帳」編纂のため再開されます。

享保6年(1721)の記録では
日本の人口は 26,065 千人という数字が出ています。

江戸時代の後半150年で
日本の人口は 1200万人増えたことになります。

近年の人口調査は
「国勢調査」という形で行われています。

これは大正9年(1920)から始まりました。

この調査はその後5年ごとに行われており、
浮浪者などは公園で調査官が集合を掛けて
調査するなどの徹底ぶりです。

現在の国勢調査では
既婚・未婚の別まで聞いていますが、
毎回女性の既婚者の方が
男性の既婚者より多く出るという不思議が起こり、
国勢調査の謎の一つとなっており、
次のような説があります。

夫が遠隔地に出張している場合、
夫と妻は別々に調査されているのだがこの時、
夫が妻の分まで書いてしまっているのではないか
(しかしこれはむしろ逆のケースの方がありそう)

一人の男性が複数の女性と事
実上結婚状態にある場合が含まれているためではないか

夫と死別した女性が
既婚者欄にチェックしてしまっているためではないか

国勢調査では
既婚未婚の別にしても性別にしても
全て自己申告が原則ですので
戸籍を集計したものとは結果は大きく変わります
(ただし戸籍には死んだまま何年も放置されているものも含まれている)。

人口調査記念日