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2021/04/20

穀雨(こくう)

4月20日
火曜日

穀雨(こくう)

二十四節気の一つ。

田畑の準備が整い、
それに合わせて春の雨の降るころ。

穀雨とは、
穀物の成長を助ける雨のことである。

『暦便覧』には
「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。

穀雨の終わりごろ(立夏直前)に
八十八夜(立春の87日後の日)がある。

春も本番と言う事ですな‼️

穀雨(こくう)

2021/04/19

地図の日

4月19日
月曜日

地図の日(最初の一歩の日)

寛政12年閏4月19日
(1800年6月11日)

伊能忠敬が
蝦夷地の測量を行うため
江戸を出発したことにちなむ。

伊能 忠敬(いのう ただたか)

延享2年1月11日(1745年2月11日)
~文化15年4月13日(1818年5月17日))

江戸時代の商人、
天文学者・地理学者・測量家である。

通称は三郎右衛門、

勘解由(かげゆ)。

字は子斉、号は東河。

寛政12年(1800年)から
文化13年(1816年)まで、
17年をかけて日本全国を測量して
『大日本沿海輿地全図』を完成させ、
国土の正確な姿を明らかにした。

1883年(明治16年)、贈正四位。

平均寿命が
50歳ぐらいだった江戸時代に

50歳を過ぎてから
一念発起し
17年間も日本中を歩き回り測量し
日本地図を完成させた

伊能忠敬は
私はとても尊敬しています。

地図の日

2021/04/17

近江宮(近江大津宮)

4月17日
土曜日

近江京
(近江大津宮)

667年4月17日
(天智天皇6年3月19日)

天智天皇が近江宮に遷都。

近江大津宮
(おうみおおつのみや/おうみのおおつのみや)は、
飛鳥時代に天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。

天智天皇6年(667年)に
飛鳥から近江に遷都した天智天皇は
この宮で正式に即位し、
近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行。

天皇崩後に
朝廷の首班となった大友皇子(弘文天皇)は
天武天皇元年(672年)の
壬申の乱で大海人皇子に敗れたため、
5年余りで廃都となった。

史料上は「近江大津宮」のほか
「大津宮(おおつのみや)」
・「志賀の都(しがのみやこ)」とも表記されるが、
本来の表記は
「水海大津宮(おうみのおおつのみや)」
であったとの指摘もある。

1974年(昭和49年)以来の発掘調査で、
滋賀県大津市錦織の住宅地で
宮の一部遺構が確認され、
「近江大津宮錦織遺跡」として
国の史跡に指定されている。

大津に都があった事は
知らない人も多いんでしょうね。

近江宮(近江大津宮)