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2021/06/16

自転車屋の生き物歳時記 コミスジ

6月16日
水曜日

自転車屋の生き物歳時記

コミスジ

昨日
街中では珍しいチョウを見た。

パタパタと羽ばたき
空中で少し静止している。

変わった飛び方の黒字に白い模様のチョウ。

コミスジだと思われる。

コミスジ(小三條、学名 Neptis sappho)は
チョウ目(鱗翅目)タテハチョウ科に分類される
チョウの一種。

翅の模様と飛び方が特徴的である。

シベリアの亜寒帯域から
中央アジア、インドシナ半島、台湾の熱帯域まで、
アジアに広く分布する。

日本では
北海道から屋久島・種子島まで分布するが、
トカラ列島以南の南西諸島には分布しない。

日本産は
亜種 N. s. intermedia W. B. Pryer, 1877
として分類されるが、こ
の亜種は近隣の東アジア地域にも分布する。

成虫の前翅長は 23~31mm。

翅は横長で黒褐色をしており、
白帯が前翅に1本、後翅に2本斜めに走る。

翅を開くとこれらの帯模様が「三」字に見える。

この帯模様以外にも、
前翅のやや外側には横長の白斑が並ぶ。

翅裏も同じ模様だが、地色は明るい茶色になる。

また、体には緑色の毛が生える。

成虫は
4月から11月まで長期間見られ、
その間に1~4回発生する。

低地や丘陵地の森林周辺に多く、
郊外の住宅地でも見られるが、
遮蔽物がないためか山頂にはあまりおらず、
山麓のチョウといえる。

パタパタと数回羽ばたき、
数秒ほど翅を水平に開いて滑空する
特徴的な飛び方をする。

白黒に色分けされた
紙切れが風で飛ばされているようにも見える。

樹液にはあまり来ず、花や吸水に来るが、
アゲハチョウ類のように
大規模な吸水集団を形成することはない。

幼虫は
クズ、ハギ、フジ、ニセアカシアなどの
マメ科植物を食草とする。

冬は3齢幼虫で越冬する。

自転車屋の生き物歳時記  コミスジ

2021/06/16

和菓子の日

6月16日
水曜日

和菓子の日

全国和菓子協会が
1979年(昭和54年)に制定。

848年(嘉祥)、
疫病退散を祈念するため元号を「嘉祥」と改元し
6月16日に16の数にちなんだ
菓子・餅を神前に供えたという
「嘉祥菓子」の故事に由来。

和菓子の日

2021/06/15

源義経が自害(衣川の戦い)

6月15日
火曜日

源義経が自害
(衣川の戦い)

1189年6月15日
(文治5年閏4月30日)

衣川合戦。

源義経追捕の宣旨により
藤原泰衡が衣川館を襲う。

源義経は自害。

奥州藤原氏三代・藤原秀衡は
関東以西を制覇した源頼朝の勢力が
奥州に及ぶことを警戒し、
義経を将軍に立てて鎌倉に対抗しようとしたが、
文治3年(1187年)10月29日に病没した。

頼朝は
秀衡の死を受けて後を継いだ藤原泰衡に、
義経を捕縛するよう朝廷を通じて強く圧力をかけた。

一方、
義経は文治4年(1188年)2月に
出羽国に出没し、鎌倉方と合戦をしている。

また文治5年(1189年)1月には
義経が京都に戻る意志を書いた手紙を持った
比叡山の僧が捕まるなど、再起を図っている。

しかし
泰衡は再三の鎌倉の圧力に屈して、
「義経の指図を仰げ」という父の遺言を破り、
閏4月30日、
500騎の兵をもって
義経主従を藤原基成の衣川館に襲った。

義経方は、
主従の武蔵坊弁慶、鈴木重家、亀井重清らが
わずか10数騎で防戦したが、
ことごとく戦死・自害した。

館を平泉の兵に囲まれた義経は、
一切戦うことをせず持仏堂に篭り、
まず正妻の郷御前と4歳の女子を殺害した後、
自害して果てた。

享年31であった。

源氏の頭領だった
頼朝は立場上
自分に伺いも立てずに
身勝手な行いをする義経を
疎ましく思っていたのもあるのだろうけど

戦巧者の義経が
自分の足元を掬うのが
恐かったのもあるんでしょうね

源義経が自害(衣川の戦い)