2022/04/15
週末立ち飲み 木下酒店
4月15日
金曜日
週末立ち飲み
木下酒店
スーパードライ小瓶
黒糖焼酎れんとお湯割4杯
砂ずり
冷奴
イカの燻製
2022/04/15
自転車屋の生き物歳時記 植物編 セイヨウタンポポ
4月15日
金曜日
自転車屋の生き物歳時記
植物編
セイヨウタンポポ
ウチの
清涼飲料水の自販機の下から
なんと
セイヨウタンポポが生えてきた。
セイヨウタンポポ
(西洋蒲公英、学名 Taraxacum officinale)は、
キク科タンポポ属の多年草である。
ヨーロッパ原産の帰化植物。
環境省指定要注意外来生物。
日本の侵略的外来種ワースト100に選定されている。
日本の在来種とは外側の総苞の反る点が異なる。
英語名から
ダンデライオン(英: Dandelion)ともよばれ、
ショクヨウタンポポ(食用蒲公英)、
クロックフラワーの別名もある。
ヨーロッパまたは、北半球の温暖地域が原産といわれる。
北アメリカ、南アメリカ、南アフリカ、
オーストラリア、ニュージーランド、インド、
日本に外来種として移入分布する。
あまり季節を問わず、
黄色い舌状花を長い期間にわたって咲かせる。
萼のように見える部分(総苞片)が
開花時に反り返ることで、
花に沿って固く閉じる在来種とは区別できる。
ただし、
在来種も花の盛りを過ぎると
総苞が反り返るので注意を要する。
葉は鋸歯状や羽状に深裂するが、変化が大きい。
生育型は、ロゼット型となる。
葉や茎を切ると白いゴム質の乳液が分泌され、
これによって虫に食べられるのを防いでいる。
アレロパシー作用をもつといわれている。
根茎による繁殖力が強く、
どの部分の切片からも出芽する。
セイヨウタンポポには
有性生殖を行う2倍体と無融合生殖を行う3倍体があり、日本に定着したセイヨウタンポポは3倍体で、
単為生殖で種子をつける。
つまり、花粉に関係なく、種子が単独で熟してしまう。
そのため繁殖力が強く、
都市部を中心として日本各地に広まり、
特に近年の攪乱が多い地域を中心に分布を広げた。
現在では
ほぼ日本全国に広がっているが、
古くからの田園風景の残る地域では
在来種のタンポポが勢力を持っている。
そのため、
都市化の指標生物になるといわれている。
日本では
1904年に北アメリカから
北海道の札幌市に導入され全国に広がった
(札幌農学校のアメリカ人教師ウィリアム・ブルックスが野菜として持ち込んだという説がある)。
当初は
外来タンポポが
日本の在来タンポポを駆逐していると考えられていたが、多くの場合、
外来タンポポと在来タンポポは
住み分けていることがわかった。
二次林では在来タンポポの割合が多く、
造成地や市街地では雑種タンポポ
(特に4倍体雑種)がほとんどを占めるという
分布傾向がある。
しかし、
自然度の高い場所に外来タンポポが侵入した場合、
在来のタンポポ類と競合・駆逐することが危惧され、
北海道礼文島、島根県隠岐諸島、
長野県上高地では駆除が行われている。
現在の日本に定着している
セイヨウタンポポを含む3倍体の外来タンポポは
在来タンポポとの間に交雑が発生しても
遺伝子汚染にはならない。
一方で、
2倍体の外来タンポポが侵入した場合、
同じく2倍体の在来タンポポと遺伝子汚染を
引き起こす可能性がある。
花・茎・葉・根が利用され、
食用、飲料用、ヘルスケア用、染色用、
観賞用にされる。
根にはコーヒーに似た香りと風味がある。
欧米では「自然の薬局」といわれるほど、
有用なハーブの一つとされている。
古くから
ヨーロッパや中東では食用に供されており、
多少の苦味があるが若葉は
サラダやハーブティーなどにする。
また、
根を乾燥させて炒ったものがコーヒーの代用品
(たんぽぽコーヒー)として知られており、
ノンカフェイン飲料として煎じて飲まれることにより、
食欲増進や肝機能向上に効果があるとされる。
アメリカ合衆国の一部では、
花弁を自家製醸造酒
(タンポポワイン)の原料として用いる。
薬草としては、
ビタミン、鉄分、カリウムを含み、
健胃、強壮、利尿、貧血、黄疸、神経症、
血液の浄化に効果があるとされる。
インドの伝統医学アーユルヴェーダでは、
リウマチや肝臓・胆嚢の不調などの
体質改善に効果があるといわれている。
乳液は
虫よけや民間療法の疣取りに用いられる。
ただし、
胆道閉塞、腸閉塞、重篤な胆嚢炎に対して
使用禁忌とされている。
花からは黄色や緑色の染料がとれる。
2022/04/15
日本初のターミナルデパート
4月15日
金曜日
日本初のターミナルデパート
1929年(昭和4年)4月15日
阪急百貨店開店。
日本初のターミナルデパート。
1920年(大正9年)11月1日に、
5階建ての阪急梅田ビル1階に
東京・日本橋の
老舗呉服店系百貨店・白木屋を招致して
白木屋梅田出張店が開店した。
55坪の店舗で食料品や日用雑貨の販売を行わせ、
11月5日、2階に阪急直営である大衆食堂の
阪急食堂を開設したのが始まりである。
この白木屋の店舗を
売上歩合制の家賃として売上実績のデータを入手し、
そのデータから
梅田駅でのターミナルデパートの可能性を
固く信じた小林一三は、
契約期間が満了を理由に
白木屋との契約を解除して
1925年(大正14年)6月1日に
阪急梅田ビル2・3階に
自社直営の食料品や生活雑貨中心の
スーパーに近い形態の阪急マーケット、
4・5階に直営の阪急食堂を移設して開業し、
直営でのターミナルデパートの第一歩を踏み出した。
その後、
梅田駅ビルを地上8階地下2階に
全面改築して大幅に拡張し、
敷地面積328坪で延べ床面積3280坪という
百貨店に相応しい規模の店舗を作って
1929年(昭和4年)4月15日に
鉄道会社直営=電鉄系百貨店として
阪急百貨店を開業した。
この開業を
日本初のターミナルデパート
(ターミナルデパートは欧米にない日本独特のもののため同時に世界初となる)とする見方も多いが、
現・近鉄大阪上本町駅に設けられた
三笠屋百貨店を
最初のターミナルデパートとする見方もある。
開業直前の
1929年(昭和4年)4月13日・14日掲載の
開店新聞広告に
「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」
とのコピーを入れたように
開業当初は大衆向けの路線を採り、
沿線の行楽に向かう人々への弁当販売を手がける等、
今日のターミナルデパートの
雛形となった存在としても知られる。
経営の中心であった7・8階の大食堂は、
高層階からの眺望や食券方式などの
目新しさにより、人気を博した。
看板メニューとして当時高級品だった
ライスカレーをコーヒー付き25銭で提供するなど、
ランチも名物として話題となった。
開業直後に襲った昭和恐慌の時代に、
ライスのみを注文して
テーブルに備えられていたウスターソースをかけただけで食べるソーライスが流行した際は、
他の店舗や当店の大食堂の店員が
締め出しを図ろうとした。
しかし、
創業者の小林一三は
「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。
その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ、
福神漬けまで付けて提供するなど、話題となった。