2022/04/25
壇之浦の戦い
4月25日
月曜日
壇之浦の戦い
1185年4月25日
(元暦2年3月24日)
平氏一門が滅亡。
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、
平安時代の末期の
元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦
(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。
栄華を誇った平家が滅亡に至った
治承・寿永の乱の最後の戦いである。
菱沼一憲(国立歴史民俗博物館科研協力員)は
著書『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』
(角川選書、2005年)で、
この合戦について以下の説を述べている。
文治元年(1185年)2月
屋島の戦いに勝利した義経は、
1ヶ月かけて軍備を整えつつ
河野通信や船所正利などの水軍勢力を
味方に引き入れる工作も進め、
徐々に瀬戸内の制海権を握っていった。
一方で平家の残る拠点は彦島のみであり、
兵糧や兵器の補充もままならない状況であった。
また、
関門海峡を越えて豊後へと渡った源範頼軍によって
九州への退路も塞がれていた。
正午頃、戦いが始まった。
両軍とも、
できるだけ潮流に左右されずに
操船できる時間帯を選んだのであろう。
序盤の平家方は
鎌倉方が静まり返るほど激しく矢を射かけて
互角以上に戦っていたが、
射尽すと逆に水上からは義経軍に、
陸上からは範頼軍に射かけられるままとなり、
まずは
防御装備の貧弱な水手・梶取たちから
犠牲となっていった。
この結果、
平家方の船は身動きが取れなくなり、
平家方不利と見た諸将の間では
鎌倉方への投降ないし寝返りが相次いだ。
敗戦を覚悟した平家一門は老若男女を問わず、
また保護していた天皇や皇族ともども、
次々に海へと身を投げていった。
これは、
範頼軍の九州制圧、義経軍の四国制圧、
鎌倉方による瀬戸内海の制海権奪取という
水陸両面にわたる包囲・孤立化の完成にともなう、
悲劇的にして必然的な結末であった。
2022/04/24
洋食マルヤ浜中町店 Aランチ
4月24日
日曜日
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Aランチ
(ハンバーグ・エビフライ・ハム・目玉焼き・ナポリタン)
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2022/04/24
植物学の日/マキノの日
4月24日
日曜日
植物学の日・マキノの日
植物分類学者・牧野富太郎が
文久2年4月24日(旧暦)に
土佐国佐川村(現:高知県高岡郡佐川町)で
誕生したことを記念。
牧野 富太郎(まきの とみたろう)
1862年5月22日(文久2年4月24日)
~ 1957年(昭和32年)1月18日)は、
日本の植物学者。
高知県高岡郡佐川町出身。
「日本の植物学の父」といわれ、
多数の新種を発見し命名も行った
近代植物分類学の権威である。
その研究成果は50万点もの標本や観察記録、
そして『牧野日本植物図鑑』に代表される
多数の著作として残っている。
小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、
生まれた日は「植物学の日」に制定された。
94歳で亡くなる直前まで、
日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。
個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、
命名植物は1500種類を数える。
野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、
身近にある植物すべてが研究対象となっていたことが、
日本植物学の父と言われる所以である。